Quantcast
Channel: 東大新聞オンライン
Viewing all 3375 articles
Browse latest View live

医学部附属病院で最先端治療と患者の死に関する調査

$
0
0

 医学部附属病院で昨年、9月21日に心臓関連の最先端治療を受けた40代男性が10月7日に死亡したことが判明した。治療と死因との関係は今のところ不明。同院によると9月28日に当該治療を全面停止し、12月の東京都福祉保健局の立ち入り検査を経て、現在も当該治療を停止中だという。

 

 当該患者は2011年以降心不全で入退院を繰り返し、昨年8月に病状が悪化。弁不全による血液の逆流が悪化の一因とされた。担当医らは昨年4月から日本で実施可能となった「MitraClip」という、カテーテル(管)を経由して弁をクリップで閉じる治療に着目。心臓移植など他の治療が困難とされた中、医療関係者間の議論や、患者とその家族への説明を経て、MitraClip実施が決まった。

 

 治療当日は海外でMitraClipに多く参加した医師らが、まず右心房から左心房へ小さな穴を開けることを試みたが不成功。治療続行は危険と判断された。穴が開かない事態は、治療担当者らが経験した千件以上の症例の中で初めてだという。患者の病状は一進一退しつつ徐々に悪化し、死に至った。


「姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク」レポート ~「モヤモヤ」とともにを振り返る~

$
0
0

 2016年、東大生・東大大学院生5人による集団強制わいせつ事件が起き、世間に衝撃が走った。あれから2年以上がたった2018年7月、事件に着想を得た小説『彼女は頭が悪いから』(文藝春秋社刊)が出版され、再び大きな話題となった。

 

 そんな中、2018年12月に東大駒場キャンパスで開催されたブックトークイベント。あっという間に過ぎた、濃密な2時間の内容を、編集部員によるイベントの書き起こしと共に振り返る。

(取材・石井達也、一柳里樹、高橋祐貴、武沙佑美、楊海沙 構成・武沙佑美 撮影・石井達也)

 

レポート記事本文のリンクをクリックすると、書き起こしの該当発言部分にジャンプし、ジャンプ先のリンクをクリックするとレポート記事本文に戻れます。実際にどのようなニュアンスでの発言だったのか、少しでも感じ取る手がかりにしていただけますと幸いです。

 

<イベント詳細>

日時:2018年12月12日水曜日 19時~21時

場所:東京大学駒場キャンパス 21KOMCEE EAST 地下 K011教室

講演者:姫野カオルコ(作家)

パネリスト:大澤祥子(ちゃぶ台返し女子アクション・代表理事)、島田真(文藝春秋 ノンフィクション編集局、「月刊文藝春秋」・ノンフィクション出版部担当局次長)、瀬地山角(東京大学大学院総合文化研究科・教授)、林香里(東京大学大学院情報学環・教授、MeDiメンバー)

司会:小島慶子(エッセイスト、東京大学大学院情報学環 客員研究員)

主催:メディア表現とダイバーシティを抜本的に検討する会(MeDi)、東京大学大学院博士課程教育リーディング・プログラム「多文化共生・統合人間学プログラム」教育プロジェクトS

協力:株式会社文藝春秋

 

 序盤、トークの主催者である林香里教授(大学院情報学環)から、トーク開催の趣旨の説明があった。林教授はわいせつ事件発生後、東大内で事件に関する議論があまり起きていなかったことと、社会で被害者女性を批判する声や一部の学生の仕業として事件を片付ける風潮があったことに言及。徐々に事件が人々に忘れ去られていくことによる再発の可能性への危機感を述べた。そして、東大でこうした、外部の人にも開かれたイベントを開催しジェンダーや性暴力の問題について議論することは、自らへの社会の目を意識する機会となり「組織の中のダイナミズムや制度に変化を起こすエネルギーが生まれるきっかけとなる」と力説した。また、事件は一部の学生による一回性の出来事ではなく、「東大という記号に付いて回るようなエリート主義や社会からの東大への過剰な期待やまなざしから生まれるプライドと関係があるのでは」と述べた上で、「きっと爽やかで気持ちの良いにはならないと思うが、参加者のみなさんには、シンポジウム終了後のわだかまりやモヤモヤを持ち帰り、周囲の人と語ってほしい」と強調した。

 

林香里教授

 

 まず話題となったのは実際起きた事件と本のフィクション性に、どう折り合いをつけるかということ。著者の姫野カオルコさんは、本の登場人物の心情や心理を描写する際、実在する特定の個人の属性と切り離して書くことの大変さを振り返った。そして、登場人物はあくまで架空の人物であり、世間一般の人が読んで理解でき、商品として成立するようなストーリーにする工夫をしたことを説明。これを聞いた小島さんは、小説が「たまたま架空の人物が東大に通っていて、たまたまこういう考え方をしているというだけでは読めないというのが興味深い」と切り込んだ。

 

小島慶子さん

 

「東大」という記号を分析することで東大は強くなる 

 

 そこから話題は各方面の読者の反応へ。本が出版された当時の文藝春秋担当者だった島田真さんは、自身含め、人を値踏みしたり女性蔑視したりする加害者の態度に「身に覚えがあった」という意見が多かったことを紹介した。一方、東大関係者の中には「こんな東大生なんていない」という声もあったことに触れ、小説は全てフィクションであり「小説で描かれている東大生像がどの東大生にもあてはまることだとは全く思わない」と念を押した。これについて小島さんは、「フィクションの登場人物であるたった一人の東大生のイメージが自分にも影響するのではと不安がる状況自体が、その人が普段『東大』というブランドにどれだけ抑圧されていると感じているかを表していると思う」と述べた。

 

島田真さん

 

 ここで瀬地山角教授(総合文化研究科)が、自身が東大で受け持つ2~4年生対象のゼミで、学生から「リアリティーを持って読めなかった」、小説は「東大生をひとまとめにしておとしめること以外には成功していない」という批判があったことを紹介。女子比率の数値、東大の学生寮である三鷹寮や理I生の学生生活に関する描写、そして何よりも主人公の東大生、竹内つばさが「ピカピカツルツル」で「挫折感がない」と描写されている点が、自身も「一番違和感を感じた」と力を込めて評した。「むしろつばさは東大の中で落ちこぼれていて、その代償行為として性犯罪が行われているのではないか」と述べた上で、この挫折感のなさゆえに「東大生は自分の問題として読めなくなってしまったのでは」と分析した。

 

瀬地山角教授

 

 瀬地山教授の強い口調に対し姫野さんは困惑した様子を見せ、瀬地山教授の挙げた挫折は「私のような一般の者には味わえない挫折」だったために描写し得なかったと説明。東大生が共感できなかった点に関しては、竹内つばさが挫折感のない人間として描写されていても、「『ああ、東大生ってみんなこうなのか』と思う人っていないと思う」と反論した。

 

姫野カオルコさん

 

 「挫折に違いはあるのか」という話題が盛り上がりを見せようとしていたところで、林教授が「その挫折は誰が作っているのか、と私は聞きたい」と一言。自身も「東大の教授のくせしてそんなことも知らないのか」「女の教授だから知らないのか」と言われた経験から「『東大』という記号が挫折を作っていると思う」と断言し、「その記号は誰が作り出しているのかを問いたい。東大というだけで周りに頭がいいと思われる社会現象を分析していくことで『弱い東大』が見えてくるはずで、そうして東大は強くなれる」とブックトークの趣旨を再確認した。そして、瀬地山教授が紹介した、「共感できない」「東大生をおとしめている」という小説への東大生の批判に対しては、「それならばそういう記号とは違う自分たちをもっと発信していく必要がある」と語った上で、「その記号で得しているのは、すごくマスキュリンな『男性の東大』だ」とも主張した。

 

「性的同意について理解してほしい」 ちゃぶ台返し女子アクション

 

 ここでいったんトークセッションは終了。パネリストの一人で一般社団法人「ちゃぶ台返し女子アクション」代表理事の大澤祥子さんから、性暴力防止に努める団体の活動説明があった。

 

大澤祥子さん

 

 「ちゃぶ台返し女子アクション」は、性に縛られずにあらゆる人が自分らしく生きられる社会を目指している市民団体だ。特に今は性暴力をなくすために、性的同意を文化として根付かせる活動に注力している。大澤さんによれば、性的同意とは「全ての性的な行為において必要とされている積極的な参加の意思表示」。性的同意を担保する上で大切な点を三つ挙げた。一つ目は、いつでも断ることができる状況での同意であること。二つ目は、相手の地位や体力など支配的な要素に左右されない対等な関係における同意であること。三つ目は、同意の非継続性だ。「家に行った」「前にもその人と関係をもっていた」などといった別の行為にOKしたからといって性的な行為がOKになるわけではないと語り、「美咲さんが受けたような被害者バッシングはこの点と関連しているのではないか」と推測した。

 

 また、性的同意は性的行為を起こす側に同意を得る責任があること、性暴力を防ぐにあたり第三者が介入することが重要であること、性暴力を防ぐために大学が組織として取り組むことが大切であることを強調。最後に「性暴力の背景にある性的同意について、もっと多くの人に理解してほしい」と締めくくった。

 

一般読者が納得するような東大の描写を覆せ

 

 次に話題は被害者バッシングへ。小島さんは、なぜネット空間で東大に関係ない「匿名の野次馬的な人たち」が、東大を擁護するような被害者バッシングをしたのか、という疑問を提示した。メディア研究に携わる林教授は「ネットの書き込み空間では男性の意見が強く反映され、中でも非常に極端な意見がどんどん助長され元気になっていく」と分析。これに対し小島さんは、性別のみならず学歴至上主義やブランド主義も関係しているのではないか、という見解を示した。

 

 ここでディスカッションは再び、小説のリアリティーに関する話題へ。島田さんは瀬地山教授の「小説にはリアリティーがない」というトーク前半の指摘を持ち出し、「小説はノンフィクションではないので、(東大の)世界を完全に再現することは目指していない」と再び強調した。東大に関する詳細な描写が間違っている、という指摘が「東大生らしさ」とも言える可能性を示唆すると、小島さんは、「東大生らしい」と納得してしまうような「そのまなざしはどこからやってくるのか」と、林教授が話したトークの趣旨に話題を戻した。

 

 

 ここに瀬地山教授が、「挫折の醜さがあるからこそ、東大というブランドの醜さがきれいに出るはずなのに、(挫折が描写されていないため)それをピカピカに出し過ぎている」と改めて一言。これを聞いた林教授は、この小説を読んだ東大生に対し、描写の違いに反発を覚えるならば、一般の人がそういった描写に納得してしまう原因を追求した上で、一般の人が考える「東大」とは違う「東大」を考えてみるエネルギーにしてほしい、と呼び掛け、姫野さん、島田さんも賛同する様子を見せた。

 

 小島さんが、登場人物のうちの竹内つばさの兄と山岸遥香が学力や学歴とは違う価値を体現していたと述べ、姫野さんに彼らの人物設定は意図的だったのかと問うと、姫野さんは、小説を書いているうちに登場人物が「一人歩き」していたので意図的かどうかは分からない、と曖昧な反応を示した。つばさの兄のような東大生はいると思う、という付け加えに対しては瀬地山教授が、その点でも東大が「理想化されている」と強く否定したが、小島さんは小説の人物のリアリティーを検証するのも興味深いが、姫野さんの小説はストーリーとしての人間の感情や行動を味わう場として面白かった、とパネルディスカッションをまとめた。

 

 

性犯罪を二度と起こさないために、東大ができること

 

 最後の約30分は、質疑応答に費やされた。1人目の質問者は、本郷キャンパスに通う東大の女子大学院生。自身が学生生活の中で見聞きした性的暴力の加害者は劣等生に限らないと述べ、瀬地山教授の発言について、一概に東大生を特徴付けて小説の世界を否定することに疑問を呈した。また、加害者を擁護する論理として、トークに登場した「劣等生だった」こと以外にもあるのではないかと述べ、瀬地山教授に意見を求めた。瀬地山教授は後者に言及し、セクシュアルハラスメントに関して本郷キャンパスでの対策や大学院生への全学的な対策は全くできていなく「本当に申し訳なく思っている」と断った上で、性犯罪の背景を正確に理解するには複数回にわたる調査が必要だ、と頭を下げた。

 

 次に発言した総合文化研究科の矢口祐人教授は、瀬地山教授が紹介した学生の意見に対し、小説の読み方はいろいろある、と諭した。「文学論を読んでみては」という提案には会場内から拍手が沸いた。さらに矢口教授は、姫野さんの小説は東大の描写など細部の正誤に関わらず、東大の学生と教職員が「5人の東大生が集団レイプで逮捕された」という紛れもない事実を真剣に受け止め、原因を考えさせてくれる小説だと評価。小説末尾に登場する美咲の大学の先生について、東大の教員として「そういう教員になるにはどうすればいいのか」ということをもっと教員の間で話し合う必要がある、という意見にも再び拍手が沸いた。これについて瀬地山教授も、ジェンダー論の講義を担当している身として東大で性犯罪を「ゼロにする」こと、そのためにも女子比率を上げることは、自身の最重要課題の一つだと力強く返した。

 

 沖縄県から東大にやってきたという2年生の男子学生は、自身の東大への入学経験を振り返り、小説に登場する加害者たちに対し理解を示した。ところどころで笑いを誘いながら、「加害者たちには東大に入っても異性経験がないという不安もあったのではないか」と、素直な口調で推察した。

 

 

 最後の質問者だった、恋愛相談のイベントを主催していた3年の東大女子学生は、小説末尾に登場する東大卒の弁護士に言及。学生時代を無難に終えた東大生が弁護士や医者など「偉い職業」に就いた後、クライアントや患者など「弱者」に対して東大生の頃に抱いていた価値観と同じものを持ったまま接することを問題視した。そして、大学教育として性的同意に限らず「もう少し包括的に、何か倫理的に」できることはないのか、と質問すると、会場内からはまたもや拍手が。林教授は問題の構造的な原因として男女比率のゆがみを挙げた上で、1、2年生の教養課程の間に、瀬地山教授が担当する授業で教えるようなジェンダー教育を必須にするべきだと主張した。

 

残る「モヤモヤ」を無駄にしない

 

 終始白熱した雰囲気に包まれていたブックトーク。議題は紆余曲折しながら多岐にわたったが、中でも小説から読み取れる「東大」の描写をどう解釈し、折り合いを付けるか、というテーマが繰り返し登場した。林教授の予言通り、会場にいた参加者の心の中にわだかまりや「モヤモヤ」が残るイベントとなったことには間違いない。姫野さんが万全な体調で臨むことができなかったことは悔やまれるが、この白熱したイベントを機に、社会が作り出す「東大」や性別という「記号」としっかり向き合い、「『強い』東大」を作り上げるために必要な議論を促すよう努めることを、一東大生として誓いたい。

 

 

2019年2月7日6:00【記事訂正】書き起こし部分の誤植を数カ所訂正し、さらに省略していた冒頭の姫野さんの発言に係るやりとり及び、最後の質問者の決定に係るやりとりを追記しました。「なるべく忠実に再現」としながら、本筋とは関係ないという編集部の判断で一部のやりとりを省略していたことについて、心よりお詫び申し上げます。


記事冒頭に戻る

 ネット上で伝聞の情報が拡散し、さまざまな議論を呼んだ今回のブックトーク。議論の全容をなるべく多くの人に知ってもらうため、以下に弊社編集部員が録音に基づいて書き起こした議事録を添付する。口語や繰り返しの表現を読みやすいよう書き換えた以外は、なるべく当日の発言を忠実に再現している。当日イベントに参加できなかった方も、以下の書き起こしから雰囲気を感じ取っていただければ幸いである。

 

小島さん:

 もともと『彼女は頭が悪いから』は「こんなすごい本がある」と客員研究員仲間の林香里先生に紹介していただきました。そこで林先生が、東大でこの本を扱ったトークをやりたいということをおっしゃっていて、まさか年内にこんな形で実現できるのは非常に嬉しいことで、すごく責任も感じています。今日ご登壇いただきますのは、この作品をお書きになった作家の姫野カオルコさん、そしてこの本が出版された当時の文藝春秋のご担当である島田真さん、東京大学大学院教授の林香里先生、駒場キャンパスで1・2年生にジェンダーを教えている瀬地山角先生、東大でもセクシュアル・コンセントをテーマにしたハンドブックを配布するなどの活動をしている「ちゃぶ台返し女子アクション」の代表理事の大澤祥子さんです。司会はエッセイストをしております、私小島慶子が務めます。林先生の研究室で客員研究員として半年に一回メディア表現と多様性に関するシンポジウムを開催しております。よろしくお願いします。

 さて、本題に入りますが、この小説というのは皆様もご存知のとおり2016年に実際に起きた東京大学の男子学生による強制わいせつ事件を下敷きとしたあくまでもフィクションではありますが、非常に話題になっております。そもそもなぜ姫野さんがその事件を題材にして小説を描こうと思ったのか聞こうと思います。最初のきっかけは何ですか?

 

姫野さん:
 ちょっと…答える前にですね…ちょっといいですか…?学生さんはどの辺りにいらっしゃいます?

 

小島さん:
 学生さん、挙手をお願いします。

 

姫野さん:
学生…

 

小島さん:
白熱教室みたいになってる(笑)

 

(会場拍手)

 

姫野さん:
 学生、さん、ちょっとこっち来て…こっち見て…見て…
 緊張しません?

 

学生:
 すごい緊張しております。

 

(会場笑い)

 

姫野さん:
 そうでしょ?そうでしょ?
 (別の学生を指して)ちょっと、ちょっと来て。緊張しません?緊張しますよ。私、騙されて来たんですよ。こんなにいっぱい(人が)いるなんて。
 どうもありがとうございました。

 

(会場笑いと拍手)

 

小島さん:
 今のドキドキはここに座ってる大人が全員経験してる…

 

姫野さん:
 あの、文春の、小島さんと仲のいい、タケダさんが「小島さんが姫野さんに会いたいと言ってる」って言って、「東大の教室でちょっとおしゃべりどうですか」と言われて、「ああ、なんか5、6人で会うんだ」っていって、それで、「ああ良いですよ」って言って、その後、すごい忙しかったんですね。それで答えて、その後他のことしてたら、いろいろ告知とか見て、「えぇぇぇっ…」と思って。でも、いろんな方が関わっていて、今更やっぱりやめますって言えなくて。

 

小島さん:
 悪い人ですねタケダさんねぇ。全然あそこに座ってますけども。うーんそうなんですか。でもまあ来ちゃったからしょうがないですね、はい。

 

姫野さん:
 さっき、待合室でね、瀬地山先生が…

 

小島さん:
 ええ、そうです。今日瀬地山先生がですね、

 

瀬地山教授:
 「瀬地山さん」でお願いします。

 

小島さん:
 瀬地山さんがですね、瀬地山さん…。でもね、今日瀬地山さん大事な役割なんです。瀬地山さんは、普段あんまりメディアで報じられることのない、東大生の、及び東大関係者の、この小説を読んだ本音みたいなものをですね、おっしゃってくださるので。

 

姫野さん:

 あのー、この小説って、この事件を小説にするつもりは全然なかったんです。ただ、ニュースが出た時にまるで集団で一人の女の子をレイプ未遂したような事件であるかのような報道に違和感を感じました。それでこの事件の報道を聞いているうちに、その事件そのものは裁判も終わっていますし、その事件そのものではなくてその事件の報道のされ方やその事件に対する人々の反応の仕方がすごい気になりました。それを考えているうちに、小説になりました。

 

小島さん:

 小説の冒頭にもあるように、「そんな事件が起きたんだ」「どんな事件だったんだろう」という風に人の心の中で色んな欲望がうごめいているというありようが、この事件では特異であったというか、引っ掛かると感じたということでしょうか?

 

姫野さん:

 そうですね。

 

小島さん:

 その辺りは今回のブックトーク開催の趣旨とも関係しているかなと思うのですが、じゃあなぜこの小説を東大でブックトークという形で取り上げてみようと考えたのか、林先生にお聞きしようと思います。

 

林教授:

 この会を主催させていただきました、林香里です。よろしくお願いします。東大に勤める私がこの件についてどう考えるのかお話しさせていただきます。今日はお仕事や授業でお疲れのところシンポジウムに来ていただきありがとうございます。2016年に東京大学の集団強制わいせつ事件が起こって起訴されて裁判も終わったわけですが、その時に東京大学だけではなくて慶應大学や千葉大学の大学生による事件が度々報道されてはいました。その当時私は在外研究でアメリカにおりましたが、これを知って大学の教員として非常に心を痛め申し訳なく思いました。その時に何かできないかと思って新聞のオピニオン欄にも「キャンパスの性暴力 大学は具体策を急げ」というような投稿もして、私の意見を述べました。加害者が私の勤務先の学生だったのは悲しかったわけですが、それ以上に悲しかったのは、私が勤める東京大学からあまり声が聞こえて来なかったということでした。ただ、帰国して色々調べたり聞いたりすると、この事件について実は社会では色んな声があるということも知りました。非常に悪質な事件だと非難する声もありましたが、「女性が悪い」とか「男性の方がハメられた」、「一部の愚かな学生による仕業だ」という声も聞きました。そうした声はそっとささやかれる程度に止まっていて、そうこうしているうちにやがて事件そのものも忘れられていくような感じがします。私たちは次にこうした事件が起こるまで前の事件を忘れ始めている。そういうことに危機感を持っています。

 私の専門はメディア研究です。普段はメディアに対していろんな批判をして報道記事や番組のあり方の審査もしてきました。だから、いっぱしの大人が一生懸命やっている仕事について偉そうな批判をするということも、批判する方もされる方も心理的にきついものがあるということは何となく分かるわけです。そこで学んできたことの一つとしては、どんなに批判が辛くても、外からの目が入って批判され不都合なことを指摘され語られるということが、組織や個人を強くして組織の中のダイナミズムや制度に変化を起こすことができるのだと思います。そして、自分が社会からどう見られているか、何をすべきかについて考えざるを得なくなって良心とともに体にエネルギーやエンパワーメントが生まれるんじゃないかと思って、今日はこうした会を開きました。

 東京大学にとって、ジェンダーや性暴力の問題についてはこうした外の空気を触れることがとても大切だと思っています。どうしてこういう事件が起こるのか、そしてそれは一部のモンスターが引き起こす個別の事件なのか、そうではなくて東大という記号に付いて回るようなエリート主義や社会からの東大への過剰な期待やまなざしから生まれるプライドと関係があるのではと思いました。姫野さんの小説『彼女は頭が悪いから』はそういうことを私が考えている時に出版されたものです。この小説の着想は事件にあったということで、私は東大関係者として何となくいたたまれない嫌な気持ちになりました。でも、姫野さん自身も心理的に大きな負担を強いて書かれたのではないかと思いました。

 これは偶然なのですが、小島さんからお話があったように昨年からメディアの表現の多様性を抜本的に考える会を作っていて、メディアの表現とジェンダーを考えるさまざまなシンポジウムをしてきました。そして今年5月には財務省の次官が女性記者にハラスメントをしていたことも発覚して、その前にはジャーナリストの伊藤詩織さんがテレビ局の幹部に強姦されたことを告発しています。私の仲間はメディアにおけるこうした性暴力被害者の救援・支援活動もしていて、私は姫野さんの小説の読後感を仲間たちと語り合い、共有することができました。そして、今日仲間たちとこのシンポジウムを東京大学で開催することができました。ご登壇してくださった姫野さんありがとうございます。そして、シンポジウムを手伝ってくださった友達や研究仲間そして学生たちみんなに感謝しています。きっと爽やかで気持ちの良いシンポジウムにはならないと思います。姫野さんの本を読んで気持ちがざわざわしていろんなことを思い出して不愉快に思いこの話題を持ち出すことに怒りを覚える方もいらっしゃるかもしれません。むしろそれが自然なのではと思います。それでも私は、この問題は東京大学という記号が深く作用しているのではないかという思いがあります。だからどうしてもこの大学でブックトークを開催したいと思いました。今日このシンポジウムが終わった後、東大関係者はもちろん、聴衆のみなさんの心にわだかまりやモヤモヤなどいろんな気持ちが生まれると思います。このシンポジウムの成功があるとすれば、みなさんがその気持ちを持って帰って周りのいろいろな人と語ることではないかと思います。姫野さん、この小説を書いてくださりありがとうございます。ぜひ、ご著書について語ってください。よろしくお願いします。

 

姫野さん:

 (緊張で)ドナドナ歌いたい気分です。ドナドナ歌いますわ。

 

小島さん:

 今、林さんがおっしゃったように、東大だけでなく慶應大や千葉大で相次いだ性暴力事件や、メディアで報じられる性暴力事件の背景にあるのは何なのか、長い間女性たちがさらされてきたものであったり長い間不問に付されて来たものというのが、事件という形で現れていますよね。性暴力を放置する加害者の側では「当然だろう」「悪いことではないだろう」という意識がありますけども、「自分は力があるんだ」「自分はとがめられない立場だから別にしても構わないだろう」という色んな理由がありますが、その一つに例えば学歴だったり、男性であることであったり、社会的地位が高いことであったり、お金を持っていることであったりなど、いろんな理由がありますよね。中でも東大は学歴の中でも特別な記号化された、この社会のエリートであり勝ち組でありさまざまな羨望を込めて語られる記号化された学校名になっていますよね。性暴力事件の背景にあるさまざまな要素の中でも学歴、しかも東大という学歴がすごくセンセーショナルに、この事件において報じられたのだと思います。今日は性暴力の背景にあるものは何か、何をするべきであるか、どう防ぐか考えると同時に、なぜ東大がこれだけ注目されて、人々は東大×性暴力事件という掛け算をどんな気持ちで消費したのか、なぜ被害女性が叩かれたのかということを議論できればと思います。

 姫野さんは、実際あった事件をフィクションの形で書くというのは難しさがあると思うんですよね。あれだけセンセーショナルで細かい点まで報じられている事件をフィクションで書くと、どうしても「これが事実なんじゃないか」とフィクションだと思わずに読む人が出てくるというリスクがあったと思うんですけれども。

 

姫野さん:

 そこが一番苦労したところというか。まず事件のことを知りますよね。そこで加害者のことを知ってしまいますよね。それを忘れるのに労力を使いました。

 

小島さん:

 実在する人物に引っ張られないように、こうした高学歴男子たちが起こした強制わいせつ事件というのはどんな人の心の動きが関わっていたかというのを描くことに難しさを感じたということですか?

 

姫野さん:

 そうですね。

 

小島さん:

 そうすると、東大とかその人の生活環境なども細かく書き込まれているので、どうしても引っ張られますよね。

 

姫野さん:

 それは登場人物の生活や生い立ちに引っ張られてもらうのがいいんです。誰か特定の個人に引っ張られないようにするのが大変だったんですよね。

 

小島さん:

 小説を読んでいても繰り返し竹内つばさという学生の心の描写の中で、感情だとか割り切れないものや言葉にならないものとか人間の機微のようなものを切り捨て見ないようにし、自分はそういうものを抱えていないのだと思い込むようにし、効率的に面倒くさい思いをせずに生きていく能力がある人が東大に入るという描写が繰り返し出てくるんですが、なぜ繰り返したんですか?

 

姫野さん:

 竹内つばさという人はそういう人であるということですね。東大生5人による事件が起こったということが出てくる話なんですけれども、この本は一般のお話として出すわけなんですね。するとやはり一般の人が読んでストーリーを追えるようにするのが、小説が商品として売られる以上その工夫がいるわけです。そうしますと、竹内つばさという人はこういう人なんですということを一回書くだけでは分からないんですよ。一般的に多くの人はパッと分からないので、繰り返しました。

 

小島さん:

 架空の人物なんですよね、竹内つばさという人は。竹内つばさは東大に通っていて、竹内つばさは感情や割り切れないものを切り捨てていくという、つばさのことが書かれているんですけど、読まれ方としては「東大生ってこうなんだ」とか実際読んだ東大生は「こんなひどいこと書いている」と読んでしまう。このこと自体が東大の、記号として人の心をかき乱す力を表すと思うんです。たまたま架空の人物が東大に通っていて、たまたまこういう考え方をしているというだけでは読めないというのが興味深いですね。これは性欲故にやったというよりも学歴差別や階層差別、女性蔑視が背景にあるという描き方の中に、被害者である美咲という女の子の家族や日常、彼女がいい学校や勉強、白馬の王子さまをどう捉えていたか、自分自身をどう思っていたか、自分の欲望をどう扱っていたかものすごく細かく繰り返し描かれますよね。それが東大生の家庭とすごく対照的なんですけど、姫野さんとしては階層の違いや教育に対するまなざしの違いを描きだすと同時に、一般的に東大の方がいい家の子だと思われがちだけど、小説の中で繰り返し、美咲が見ている世界は良き家族であり、彼女が幸せな女の子であることを強調したかったんですか?

 

姫野さん:

 強調したかったというよりは、私が思う平均的な女の子を考えた場合美咲だったんです。普通の女の子。ところが、この本が出てから取材を受けたんですが、随分自分の思惑と違ったのは、美咲をいい子とおっしゃる人が多かったんですね。私はそれがすごく意外だったんです。私としては美咲はそんなに良い子とは思わないです。悪い子でもなく良い子でもなく、普通のずるいところもあったりミーハーなところがあってもしおらしいところがある普通の子だと思っていたんです。でも「中学校の期末試験が終わって帰ったら一人で残り物のご飯を温めて食べるというこんな善良で良い人」って言われた時に、それは私には当たり前で、家で一人で食べることが苦しいと感じる方がアブノーマルな感じがすると思いました。私が思う普通は、今の若い人には善良すぎた感じがします。そんなところに年が出るんだと思いました。

 

小島さん:

 何が普通かって難しいですね。東大に通うつばさにとっての普通と美咲にとっての普通ってすごく違いますし、そこはすごく具体的に描かれてましたね。私自身は両方わかってしまってですね、私自身は中高大とつながった私立で大学も受験していないので東大のすごさがよく分かんないですね。東大はすごいと世間は言いますが、どれくらい東大の入試が難しいか分からないし。センター試験も知らないので。だけど身の回りには東大を出た人がいて、そういう人たちが良い仕事に就いたり、「東大生と結婚するなんてお姉さんすごいわね」と言われたりするのを見て、なるほど東大というのは価値があるんだなと思うんですけど、東大のすごさがよく分からないんです。でもこの本を読んでいると受験戦争を体験した人からすると東大はどれくらいすごく見えるのか、東大のブランドを目にしたときにどれくらいざわざわするのか、というのが具体的に書いてあって、そういうことなんだと思いつつ、東大生の家庭で行われていることや交わされている会話に身に覚えがあって。私の父は一橋で、母は高卒でしたけど、姉は東大とインカレするような女子大出て東大生と結婚しているわけです。すると、すごく既視感でいっぱいで、つばさの気持ちもちょっと分かったんです。でも受験を経験していないし東大のすごさも分からないし自分のでた大学もすごいところではないので、何となく美咲のモヤっとした感じも身につまされたり美咲に向けられる眼差しも分かってしまったり。引き裂かれたんですよね。周りにもそういう人は多くて。実は東大生の気持ちもわかってしまった自分にげんなりして苦しかったり。美咲みたいにないがしろにされたことも思い出して辛かったというのも女性に多かったですね。どっち側に立つか立場を決められる人ってそんなに多くない気がするんで。島田さんにお聞きしますが、反響にはどういうものが多かったですか。

 

島田さん:

 実はこの小説をもらう時に滋賀県の共学の男女のほのぼのとした恋愛小説を描くと聞いてたんですよ。そしたら全然違って。最初はストーリーに引かれて単純に読みました。事件が起こるのは分かっていたので、どうして事件が起こったのか、スティーブン・キングの運命に絡め取られていく物語のようなサスペンスとして読んで、最初は面白かったです。でもだんだん嫌な気持ちになって。彼らがやったことを許しがたいのは当たり前なんですけど、ちょっと自分にもこういうのあるな、と。人を値踏みしてみたりとか女性に対するヒエラルキー的な見方とか。すごく自分に思い当たるところがあって。そういう人はかなり多いです。逆に美咲はなんでこんなに主体性を発揮しないのか、私こういう人大っ嫌いという女性の方もいました。高校の同級生だったら絶対友達になってませんとか。もちろん、東大の方で「こんな東大生なんていない」「なんでこんな風に描くんですか」というのもあったんですけど、みんな東大がこうだと思う人っていないと思うんですよね。例えば慶應でもいろいろ事件がありましたが、だからといって慶應生がみんなああだと思う人はいないと思います。逆に僕らなんか東大出身の知り合いが周りにいますけど、もちろんガリ勉して入った人もいる一方で、本当に地頭が良くて、こいつスポーツしかやってなかったのに東大行ってんじゃんみたいな人も相当数いるのを知っているわけで、だからこれ(=小説で描かれる東大生像)が全てだとは全く思わないわけです。姫野さんは「東大生」ということを考えて(登場人物の)人生を編んでいくわけですよね。小説なので(実際の事件の関係者とは)親族関係も全然違う。(主人公に)兄がいるとか、兄弟の会話がどうだとか、これは100%フィクションです。もちろん美咲の周りの家族関係も100%創作。

 僕はむしろよくこれだけ立体的に人物を描いたなあという部分にびっくりしました。僕は好きでしたがこれが嫌だったと言う人ももちろんいて、「姫野さんはこういうフェミニスト的な方なんですか」と。でも違うんですよ。この本にまつわるエッセーを姫野さんにネットで書いてもらったんですけど、姫野さんはそこでは性的な出版物や商品は容認できると語っている。それはなぜなのかというと、ちょっとジェンダー的な話にはならないかもしれませんが、つまりセックスというのは人格ではないので、愛する人を痛めつけることに異常な興奮を覚える人もいると。その欲望を解消するためにそういう出版物やビデオがあってもいいけれども、それを実際にやるとなるとばかでしょ、というのが姫野さんの今のお考えです。それはこの本のテーマにも通じるところがあるのかな、と僕は思いました。思ってても実際にやるのはばかでしょ、という。

 

(会場困惑気味の笑い)

 

姫野さん:

 あの、エロビデオを見て興奮するという(ことに関して私が書いた)のは、「エロい気持ちは尊敬する気持ちに反比例する」ということなんですが…

 

小島さん:

 …だいぶ違いましたね。

 

島田さん:

 だいぶ違いましたね(笑)

 

(会場笑い)

 

姫野さん:

 もし反比例しなかったら、例えば若い学生とかはマザー・テレサを見てオナニーできるのか、と、そういうことになると思うんですよ。…あ、中には、してらっしゃる方もいるのかもしれないですけど。

(会場笑い)

 だから、尊敬は必ずしも性欲にはならない、ということを書いたんです。

 

小島さん:

 だいぶ違いましたね、はい。今のは、「島田さんが悪かった」ということで(笑)

 えーとまあでもその、なんでしょうね、あの、人が学歴にすがらなければならないいろんなコンプレックスを抱える中で、その偏見にはどのようなものがあるかというのをフィクションとして細かく描き込んでいく時に、やはり「東大」という記号が入ることで読む人の心をすごくかき乱す。そういう機能を持つものとして「東大」という言葉が使われているのだろうなということを今理解しました。

 中にはね、これを東大生を悪く言おう、東大のイメージを貶めようと思って書いていると思っている方、つばさ君みたいな人を描いてしまったら東大生がみんなこんな人だと思われるじゃないか、と思う人もいるのかもしれませんが、フィクションの中に登場するたった一人の東大生のイメージが自分にも影響するんじゃないかと不安を抱いているその状況自体が、その人が普段「東大」というブランドにどれだけ抑圧されていると感じているかを表しているな、と思います。

 瀬地山先生はゼミの学生さんにこの本の感想を聞いたり、実際に学生さんとどう思うかを話されたそうですが、ご自身がこの本についてどう思ったかというのと、学生さんの反応を伺ってもよろしいですか。

 

瀬地山教授:

 全然こちら側の角度からお話ししてしまうことになりますが、私自身は東大の1、2年生相手にジェンダー論の講義を持っていまして、4、500人教えてます。東大の講義というのは、いくつあるのか知りませんが、1万か2万かあるのかな、その中で、一番女子学生が多い授業を担当しているはずです。同時に私にとって性犯罪の防止というのは、最も重要なコミットメントの一つで、もちろんそういう犯罪を起こさない、あの…起こさないというのは…すみません、標準語である関西弁に戻します。

 (性犯罪の防止は自分にとって)ものすごく強いコミットメントの一つだと私は思っていて、このような事件が起きたことについては責任を感じます。また最近強姦事件が起きていてですね、一応東大生の6分の1くらいは出ている講義なので、ちゃんと(私の講義を)受けてくれていたらこんな事件は起こさないはずなのに、という思いはすごく強く持っています。後は、今日もついさっきまでやってたんですけど、2年生から4年生が参加するジェンダー論のゼミを受け持っているのと、大学院でも同じようなことをやっています。2〜4年が参加するゼミで(『彼女は頭が悪いから』を)読みました。そうしたら、この本に対してかなり強い批判が出てしまったんですね。これはちょっと紹介せざると得ないかなぁと。だから、この(批判が出たという)ことと、私自身がどう考えるかということの折り合いをどうつければいいのかを私自身まだ考えている最中なんですけれども…。

 この小説では、実際の事件の描写に入る前に、かなり長くつばさ君と美咲ちゃんの生活の描写があるわけですが、ここで描かれる東大生の描写が、ほとんどリアリティーをもって読めなかったんですね。それは、ハードなファクトでおかしなところが少なからずあったところが要因の一つではあったわけですが…「ラブレター手紙で出すやつなんかいませんよ」と言われました。それは年齢の問題かもしれません。それから「東大の女子は1割」というのはファクトとして違うので…現在は2割ですね。「理Ⅰの数学の入試問題が他の学部に比べて素直」っていう文言は、理系はみな同じ問題を解きますし、文系も6題中4題が(小問を多少いじってあるだけで)理系と同じものを解きます。だから、こういうところに、なんでこんな(ファクトと違う)話が出てくるのかが分からないわけですね。それから、学生さんから強く言われたのが、「三鷹寮広い」というもので、これはふざけるなと。

 えっと、「あれを広いと言えるならどんなところに住んでんねん」という。本当に劣悪な環境で苦学生が住んでいるところなので、あれに「広い」という言葉を当てるのは想像を絶することなんですね。

 それから、「理Ⅰに入ったら女子カードが2枚くる」というのも、これ理Ⅰの9割キレると思いますよ。ありえないことなので。あの、理Ⅰって正式名称ご存知ですか?あれ正式には別の名前があって、「東京男子短期大学」って言うんですよ(笑)。それくらい女子の少ないところで、理Ⅰに入って女子カードなんで絶対来ないんですよね。その辺のディテールのレベルで、ありえないことがいくつも書いてあると。

 そこから、最終的には(つばさが)「ピカピカツルツル」だとか「挫折感がない」とか「屈折していない」というところが僕や学生さん含め一番違和感を感じるところなんです。「引け目を感じたことがない」とか。

 つばさは麻武という、麻布と武蔵を組み合わせた名前になってますが、そういう学校から来ていることになっていて、それならば真ん中から下の(学力の)人が東大に入るわけですよね。あんなやつでも東大入るのかという世界ですよ。

 

小島さん:

 つばさ君のお兄ちゃんが「麻武」ですね。つばさ君は「横浜教育大学附属」です。

 

瀬地山教授:

 ああ、そうでしたねすみません。まあいずれにしろ、そういう高校から来る人って、真ん中くらいまでが来ますから、引け目を感じずに東大なんか来られないはずなんですよ。それから、入った時にある種の達成感があったとしても、五月祭終わったあたりからテスト勉強が始まり、付いていくのに苦労するはずなんですよ。しかもこの小説、試験の話と進振りの話が一切出てこないんですよ。これは東大生にとっては、やはりなぜ試験と進振りの話なしに3年生になったという描写ができるのかが読めない。

 

小島さん:

 それぐらいみんな大変な思いをするということですね?

 

瀬地山教授:

 そうですね。そこで挫折感もなく3年生になれるというのが「すみません、よく分からない」というコメントだったわけです。で、ゼミに出てきた女子学生で、「(この小説は)東大生をひとまとめにしておとしめること以外には成功していない」と言う人もいました。つばさを「ピカピカツルツル」としてのっぺらぼうに描いてしまったことで、東大生からは読めなくなってしまっているじゃないかという気がしました。

 むしろ実際の事件の犯人は屈折していて、「ピカピカツルツル」では全然なくて、東大の中では落ちこぼれていて、その代償行為としてこういうことが行われているのではないかという気がする。これを読んでいる感じでいうと。それをピカピカピカピカと言っているので、そういう感じではないんだけどな、と。

 

小島さん:

 東大の中で人からリスペクトされていなくて、コンプレックスにまみれているので、外の人間に対して東大ブランドを振りかざすと。

 

瀬地山教授:

 はい。東大という肩書きが効くのはそういう外の空間だけになるわけですよ。中ではそんなもん全く効かんから。

 

小島さん:

 だから相当挫折とかがあるはずだと。

 

瀬地山教授:

 そう、そう。そうです。そういう描き方をしないと、東大生は残念ながら自分の問題として読めなくなってしまうのではないかな、と思いました。ゼミに出てた学生さん含めて、みんなが言ってくれた意見はだいたいそんな感じでしたね。

 

小島さん:

 瀬地山さん自身も東大で学ばれて、「東大」というブランドにさらされ続けるのはやはりしんどかったですか?

 

瀬地山教授:

 いや、ブランドどうのこうの以前に、3年生から勉強に付いていけなくて、大学に行けなくなりました。

 

小島さん:

 世間はブランドのことばっかり言うけれど、お前入ってみろと。どれだけ大変か分かってるのか。東大生やってみろよ、と。そういうことですか。

 

瀬地山教授:

 いや、だから、こんだけ能天気に過ごしているのはちょっと理解できないなと。

 それから、「偏差値と親の年収は相関する」というような記述がポロっと出てくるんですけど、例えば医学部でみたら偏差値と親の年収は逆相関するでしょうし、あと「東大生の親族には東大生が多い」みたいなね。(東大は)そういう収入と血統で入るような空間じゃないんですよ。収入と血統とで入って、順調にいくような空間でも全くなく。もっとガタンガタンと(いろいろなことに)ぶつかっていくはずで、相当な劣等感があるように思えるんですよ。犯人像が。それを「ピカピカツルツル」というのはちょっと違うんじゃないかな、というのがさしあたり今日一番お伝えしておきたかったことです。

 その一方で東大生への性犯罪についての教育をどうするかというのはもう一つ別の問題なんですけど、この本が東大生に対する教育に使えるとは思えなかったというのがゼミでの話でした。

 

小島さん:

 それは共感できないからということで。

 

瀬地山教授:

 はい。

 

小島さん:

 姫野さん、途中でふうぅと言ってらっしゃいましたけれども…

 

姫野さん:

 はい。あの、三鷹寮って、本当に刑務所って言われているんですよね?それで…三鷹寮が広いというのは、あの、「戦前の建物(=駒場寮)より新しい」という意味で、敷地が広いのかな、と思って書いたということでして。

 

瀬地山教授:

 水回りとかご覧になりました?

 

(会場笑い)

 

姫野さん:

 中で暮らしている人は大変で、こんなんで広いと言われたらかなわん、というのはあるとは思いますけれども…どうもすみませんでした。

 でもね、私、今日、最初、待合室で、瀬地山さんに会って…この人怒ってはんねん。挨拶しても怒ってはんねん。小島さんが「この辺に娘が通ってる保育園がありました」って話をした時も、その「保育園がある」ということにも怒ってるように見えんねん。

 なんでこんなに怒られるんやろと思って、今、そーっと痛み止めの薬を出しました。

(会場笑い)

 でもそのままつるんと床に落ちて、飲めんようになってしまいました…。で、ほんとどうしようと思って、今、瀬地山さんの話を聞いていたら、三鷹寮の誤解は「戦前の建物やない」ということやったんですけれども、そこに怒ってらっしゃるのであれば悪かったなとおもいます。

 

瀬地山教授:

 どこの大学が今戦前の建物を使ってますか。

 

(会場笑い)

 

島田さん:

 京大ですかね…

 

姫野さん:

 でね、こういうところ、こういうところ、すごい挫折の連続だったんです、ということを今聞いて、私は、「ああ、この挫折が東大や!」思うた。

 この、瀬地山さんのような挫折が、私のような一般の者ができひん挫折よ。

 

小島さん:

 うーん、それね、難しくて、東大生の挫折が一般人から見ると「それは高級な挫折だ!」みたいな話になると、東大生からすると、ほら、「痛みは等価で無二」だからさ。東大生も一回きりの人生を生きていて東大生なりの挫折を味わって、もしかしたら死にたいとか思っちゃってる人にとっては、「お前は東大生だからお前の痛みには価値がない」と言われるのはひでえじゃねーか、と言いたくなる気持ちもちょっと分かる気はする。

 

(1秒の沈黙ののち会場笑い)

 

姫野さん:

 東大に入って、入ってから挫折するというのは、それは…

 

瀬地山教授:

 いや入る前から挫折してますよ。そんなん進学校におったら。

 

姫野さん:

 それがもう、普通の人にはできないことじゃん。私の頭ではできないことですよ。

 

小島さん:

 じゃあ、東大生からしたら普通の挫折だと思っているようなことも、世間的にみたら「あんたそれ高級な挫折ですよ」と思われるということも、東大生は分かっておいた方がいいんですかね?

 

姫野さん:

 いや、分からなくてもいいとは思いますよ。でも、東大に入る人というのは…「竹内つばさ」という人はこういう人だったかもしれないですけど、島田真が言った通り、これを見て「ああ、東大生ってみんなこうなのか」と思う人っていないと思うんですよ。

 

小島さん:

 まあ正直、「えマジで?三鷹寮広くないの?じゃあ全然違う小説じゃんこれ」という人はいないと思いますけどね。

(会場笑い)

 東大生にとって共感できないというのがネックになっちゃったのはね、確かにもったいないと思いますけれども。これは(私自身は)経験ないですけど、もしかしたら東大の外からみたら東大生の痛みなんて全然甘っちょろいと言いたくなるかもしれないし、東大の中にいる人からしたらこの地獄のような勉強を経験してない人から「甘っちょろい」なんて言われるのは冗談じゃない、って思うとなると、本当に議論が平行線ですよね。自分の人生しか生きられないからねー…。本当にだから、誰が正しいとは言えないんだけども。

 

瀬地山教授:

 言葉を費やしてもらえるとしたら、姫野さん、何が違いますか?挫折に2種類あるとして。

 

姫野さん:

 だって…すごく優秀じゃないですか。東大、優秀な大学なんですよ?皆さん、ご存知とは思いますが、優秀な大学なんですよ。その優秀な大学に入れるってことで、もうその人優秀なんですよ。頭は。入れなかった者より優秀なんですよ。だからと言って、頭のいい人には何の感情もないと言われているように(小説を読んで)思ったというところが、東大生の挫折だと感じたということなんですよ。

 あの、それ…優秀な人は、感情がない、ということでは、ない。(なのに小説で)感情がない人のように書いてあるというふうに感じることが、東大生の挫折だと。

 

(2秒の沈黙)

 

瀬地山教授:

 …んんんんんんん〜〜〜〜?

 

小島さん:

 あの、じゃあ、林先生、一言。

 

林教授:

 私も、東大で教えていて、東大生が挫折するといった東大生なりの悩みを知っていると思います。で、なぜ挫折するかということを考えてみたいと思うんですね。東大生の挫折が他の人と同じか違うかみたいな議論は意味がなくて。東大生の挫折って、じゃあ入る前、エリート高校にいる時から挫折しているというその重し、その記号、それは誰が作っているんですか、と。私はいつもこう聞きたいんですね。

 私自身も東大の教授で、東大の教授って「知らない」って言えないみたいなプレッシャーを感じることがあるんですよ。私は「知らない」って言うんですよ。そうすると、「お前そんなことも知らないのか東大の教授のくせして」と言われることがありますよね。面と向かって言われたこともあります。「女の教授だからか」とか、いろいろ言われたことがあるんですけれども。「そんなことどうだっていい」と自分に言い聞かせながらも、やっぱり「東大」という記号が襲ってくる。でそこで挫折感が加速度的に重くなっていく、そういうことは必ずあると思うんです。

 でもそれは、振り返って、突き放して見てみると、その記号は誰が作り出していますか、と。私は、東大というだけで周りに頭がいいと思われるという(社会の)みんなで合意している現象を、細かく見ていくと、「弱い東大」が見えてくるはずだと。今日は冒頭でお話しました通り、その弱さから出発して強くなっていくことが東大には必要なんじゃないかというのが私の言いたいことで、姫野さんの小説をわざわざここで取り上げたのは、三鷹寮の話も、もちろん、あるとは思うんですが(苦笑)、そうではなくて私たちの「東大」という記号をもっともっと脱構築といいますか、誰が作っていて、誰がそこに乗っかっていて、誰が挫折するか、それは、東大生だけじゃないですよ。日本の社会全体(の問題)なんです。そこを、もっとみんなで議論してもいいんじゃないかと思うんです。

 

小島さん:

 例えばね、テレビで、「早稲田王」というクイズ番組はないんだけども、「東大王」という番組はあるとかね。あるいは、「学力」というたった一つの評価(基準)で人々の人生が18歳の春とかで決まってしまって自分はそこでふるい落とされちゃう、というとこからくる怨嗟がですね、「お前そこで上り詰めたんだったら人よりできて当たり前だろ。たった一つの基準で人がふるい落とされるようなシステムの中で勝ち残ったんなら多少ひどく言われても甘んじろよ」という気持ちを生んだりするのかもしれないですね。

 

林教授:

 あと一つなんですけど、そこで東大の女子学生さんが「私たちに対する誤解を生むような小説には意味がない」というのは、そうかもしれないですけど、それならば、そういう記号とは違う自分たちをもっともっと発信していく(ことが必要だと思う)。誰がその記号を作っていて、誰がその記号で得しているのかというと、すごくマスキュリンな「男性の東大」だと思うんですよ。

 そこを、だから、東大の挫折と東大以外の挫折を分断させるのではなくて…「東大の挫折」はずーっと社会とつながっていると思います。

 

小島さん:

 今話しているようなことは、パネルディスカッションのテーマと地続きだと思うんですけど、一応ここからパネルディスカッション、です。

 で、今日はですね、大事なことなので一度ここで時間を取って、大澤さんに性暴力事件の背景にあるものは何なのかをご説明いただきます。一部の変な人たちだけでなく、もしかしたら私たちの中にもそうした性暴力の背景にある何かが眠っているのかもしれない。私たちが無知であるがゆえにもしかしたらそうしたものが野放しになってしまっているのかもしれない。そうした点も含め、ちょっとちゃぶ台返し女子アクションがどのような活動をしているのかをご紹介していただきます。

 

大澤さん:

 みなさん、こんばんは。今いろいろ議論があったので、ここからは一般論、一般知識として聞いていただければと思います。お手元にこのような小冊子があると思います。部数が足りなかったので、ない方は申し訳ないのですが、後で団体のウェブサイトに載せるのでよろしくお願いします。私たちは、一般社団法人ちゃぶ台返し女子アクションと聞き慣れない変な名前かと思うのですが、もともとは性に縛られずにあらゆる人が自分らしく生きられる社会を目指している市民団体です。特にいま注目しているのが性暴力をなくすための性的同意を文化として根付かせる活動をしています。性暴力が起こってしまう背景の、同意とは何か、何がイエスで何がノーなのかというのを理解していない、同意のない性行為は性犯罪であるという認識が、日本の性教育では伝わっていない、社会においてもしっかりと伝えられていないという状態を問題視して、性的同意について注力しています。

 私たちは性的同意をワークショップ形式でいろいろと教えていまして、大学生の性暴力事件が相次いでいるということで、ハーバード大学やオックスフォード大学とかで使われている同意ワークショップを参考にして、日本向けに試行錯誤してやってきました。ワークショップでは、ロールプレイをよくやっているのですが、よくありそうなシナリオとしてA子とB男がいて、付き合っていないけどもB男のことが好きなA子という2人が出掛けて、帰りにB男が家に誘って無理やり性行為をするというシナリオなんですけど、そこで結構大事にしているのが社会の声を大事にするということで、ロールプレイをするときにA子とB男のせりふだけではなくて、それぞれの頭の中にある、例えばA子の母親・友達の声とかB男の先輩・友達・父親の声だったりとかいうのを、こうあるべき、例えば家に連れていって何もないなんて男として情けないとか、ぐいぐいいくのが男らしさなんだとか、相手の期待に応えるのが女性として良いことなんだ、というような声を直接演じてもらうことによって、性暴力の背景にあるジェンダーロールや男尊女卑の考え方がどういうように影響するのかということをやっているんですよね。

 今回の小説の中でいろいろと丁寧に、つばさ君や加害者の今までの生い立ちとか実際どのように考えてきたか描写されていましたけども、まさにそれが社会の声としてロールプレイで私たちがやっているものだなと読みながら思っていて、それが東大生同士なのか、東大生と他大生なのかでそこに出てくる社会の声が違うのかなと思っていて。ちなみにこのロールプレイは実際に何回か東大で学生とワークショップをやったことがあるんですけど、そこでは東大でやるからこそ女性側の声を「東大女子はここでチャンスを逃すと次いつ良い人に会えるか分からないから」という声を入れてみたりとか、実際にその大学の文化だったりとか社会的な声が内面化されているのか、自分たちの頭の中にあるのかというのを振り返るのがすごい大事なのかなと思いました。

 今日お手元にあるハンドブックも、同意ワークショップとかでやっている内容を分かりやすくまとめた冊子でして、セクシュアル・コンセントって何なのか、性暴力って何なのか、その裏にある人々のパーソナルスペースだったりとか、自分の身体だったりとか性的自己決定権というものがどういうものなのかを丁寧に解説したものになっていて、大学生に配っているのですが、大学生が中心となって、知っておいてほしい知識として配っています。

 ちょっとその中で抜粋して、セクシュアル・コンセントとは何かについて説明したいと思うのですが、私たちはセクシュアル・コンセント、性的同意というものを「全ての性的な行為において必要とされている積極的な参加の意思表示」というように定義しています。すごく大事なのが、一つ目はいつでもNoと言える状況におけるYesであるということ。単にYesと言ったからそれは同意であるというのではなくて、Yesと言わざるを得ない状況でなかったかどうかということをしっかり見ることが大事であったりとか、後は(二つ目は)対等性ですね。あらゆるところで支配関係や上下関係は見られるので、相手が目上だったかとか、相手が体力があって力づくで何かできるかとか、そういった地位や関係性、格差によって影響されていないかということも同意を考える上で重要。なので、対等な関係を築ける知識、対等な人間関係とは何かということをそもそも知っていなくてはいけない、そういうことをしっかりと学んでなくてはいけないということがとても大事になるんだと思うんですよね。最後三つ目の非継続性というものは、これは小説の中でも結構出てきてるんですけども、家に行ったからとか、前にその人と関係を持っていたからといって、性行為や性的な行為に同意しているわけではないということがすごく重要。つまり(非継続性を考えないと)一つの行為にOKしたから全ての行為がOKになる、黙示の関係になってしまうので、小説の中でも主人公の美咲さんに対するバッシングとか、家に付いていったからとか、もともと関係があったからとかという声があったりとか、後はその加害者が動画を撮っている時も下着が派手だったからこんなの見られたいと思っているに違いないという考え方って、まさに3番のやつに当たるもので、それは結構皆さんがよく聞く被害者バッシングの言葉「家に行ったから」「飲みに行ったから」「車に行ったから」「キスをしたから」「そんな服装をしてたから」とかそんなことにまさに通じているんじゃないかと思います。

 同意において私たちがすごく大事にしているのは、アクションを起こす側に同意を得る責任があるということなんですね。どういうことかというと、「被害者がどうしてちゃんと断らなかったの」とか「なんでもっと抵抗しなかったの」とか言われることがすごく多い。でも実際恐怖やショックで体が動かなかったりとか、相手が目上だったりとか、関係性によって強く拒めなかったとか、いろんな事情でNoと言うのが難しい。だからこそちゃんと断ったかどうかではなくて、アクションを起こした側が相手の同意があったということをしっかり確認して相手の意思を尊重したということがすごく大事になってくるんですよって言っているんですけども、これまさにセカンドレイプをなくすためのすごく重要なポイントで、性暴力をなくすためにどういうことができるのかでよく議論されていることで、被害者が自分の身が守るとかはっきりとNoと言うとか(という意見が出ること)は多いと思うんですけど、本来はアクションを起こす側に責任があるから、相手の意思を確認するということを当たり前にしていくということが、根本的に(性暴力を)なくしていく上ですごく重要なのではないかと考えています。

 もう一つ私たちが大事にしているのが、加害者が同意とかをしっかりと理解していって加害行為をなくしていくっていうのは重要なんですけど、周りがそれを見て見ぬ振りしない、実際の事件においてはもう1人女性がいたりとか、あるいは5人の中で本当にやばくないのかって思わなかった人がいなかったのか、そういったところもつながってくるんですけど、見て見ぬ振りしないとか、周りにここで自分が何か言ったら空気読めないやつって思われるんじゃないかとか、そういったことで助長される、加担するっていうことが性暴力では起こり得るので、どういう風に介入できるのか、これは第三者介入っていうんですけど、これも結構海外とかでやられていることで、第三者がどうやって介入することで性暴力をなくせるかっていう取り組みも私たちもやっていて、すごく効果的な性暴力をなくすための方法として用いられています。

 やっぱり予防教育、今までは個人が何をできるかだったんですけど、大学として組織として予防教育をしていく、性暴力をなくすためにどうすれば良いかっていうことを取り組んでいくことも大事ですし、実際性暴力被害が起こったときに、しっかりとそれを訴えられたりとか、セカンドレイプされずにしっかりと被害者が保護されるっていうような両方の体制が必要になってくるっていうのもあるんじゃないかと思っていて、私が(どうして)ここに呼んでいただけたかというと、東大をはじめいろんな大学で大学生が主体となって自分の大学から性暴力をなくすための活動に取り組んでいて、実際にこのハンドブックを授業とかで配らせていただきました。制度を変えるために、例えば来年の4月にオリエンテーションで同意について新入生に教えられるようにするとか、ちゃんと処罰されるような制度を作るとか、そういった制度的な変化に向けて学生が活動していったりしています。

 何だか説明っぽくなってしまったのですが、なぜ性暴力が起こるか、なぜ性暴力が助長されてしまうのかという背景にはセクシュアル・コンセントという概念がすごく鍵になってくるということで、私たちはもっと多くの人に知ってもらいたいし、なぜセカンドレイプが起こってしまうのかということも小説で描かれていましたけども、その背景としても同意っていうものが何か理解するっていうのもすごく重要なのかなって思っています。

 

小島さん:

 ありがとうございます。今週金曜日(2018年12月14日)からちゃぶ台返し女子アクションのサイトで、このセクシュアル・コンセントの小冊子がデータでダウンロードできるようになりますので、今日お手元に紙の冊子がない方もご自身でダウンロードしてください。ツイートなどもできるようですので、ツイートやFacebookの投稿などで周りの方とシェアしていただければと思います。

 ここからは、先ほどの議論の続きというか、既にパネルディスカッション的な話になっていたのですけども、今の被害者バッシングの話で奇妙だなと思ったのが、小説にも出てきますけども、東大に通っていたり東大の関係者が「東大生の人生を台無しにした勘違い女が」と言うのは百歩譲って分からないでもないが、ネットの空間だと東大生でもない東大当事者でもない、しかも匿名の野次馬的な人たちが、しかももしかしたら普段は「東大生なんて調子に乗っているよな」というように東大という記号を面白おかしく消費しているかもしれない人たちが、なぜこの強制わいせつ事件の時には「勘違い女」「ざまあ見ろ」というような罵詈雑言を被害女性にぶつけたのかということですよね。とても興味深いですよね。まるで自分が東大サイドであるかのように、東大というものの価値をすごく大事にしているかのような眼差しを(被害女性に向けて)、そういう立場から女性に対して「お前みたいな勘違い女が、東大生に気に入られようと群がった女がこんな目に遭ったって当然じゃないか」「あんたみたいな女がいるから、それは自業自得じゃないか」と言うことがなぜ起こるのか。この辺りを姫野さんは描きながらどうお考えになっていたのですか?

 

姫野さん:

 不思議ですよね。

 

小島さん:

 不思議ですよね。

 

姫野さん:

 不思議ですよ。

 

小島さん:

 そんな言わば、瀬地山さんが言うところのイエロージャーナリズム的にですね、東大スキャンダルを面白おかしく消費する人たちのモチベーションとしては、東大を悪く言われれば言われるほどすっきりするはずなのに、なぜそこで「東大を台無しにしやがって」とくるっとひっくり返って立っちゃうんでしょうか。瀬地山さんどう思われますか?

 

瀬地山教授:

 そこまでは私が答えられるかは分からないんですけど、要はセカンドレイプが起こるケースっていうのは、何かその女性に追い打ちをかければ良い訳ですよね? その追い打ちをかける時の口実に使われたっていう程度だと思うんですよ。つまり追い打ちをかけるネタとして、都合の良い論理になったのではないか、というくらいにしか、ちょっと分析をしろと言われてもよく分からないですけどね。

 

小島さん:

 小説の冒頭でも出てくるし、何回か繰り返し出てくる「勘違い女」。何なんだその勘違いって…林さんはどう思われますか?

 

林先生:

 私はメディア研究をしているので、ネットの書き込み空間っていうのは圧倒的に男性の空間なんですね。そこがニュートラルだっていうことはないです。すなわち、そこには男性の意見が非常に強く反映されていて、非常に極端な意見がどんどん先に出ていきますから、そういう意味で、ホモソーシャルっていう言葉が小説にもあったのですが、それのさらに助長した空間がそのネット空間で、そうした言説がますます元気になっていくっていうことだと。それはかなり説明として大きいのではないかと思います。

 

小島さん:

 じゃあ、女性が全員「東大生ってひどいよね」「美咲ちゃんってかわいそうだよね」って思ったかということも、これも私が知りたいんです。どうなのかなぁって。つまり、その人が男性であるか女性であるかということはもちろん影響すると思うのですけど、私なんか男性と対等に働きつつ男性優位社会で甘い汁を吸う「女子アナ」ってやつを15年もやってきたんですけど。

(会場笑い)

 すごくハイブリッドなんですよね。女子アナ的なロールをやっておけよという自分がいるんですよね。だけどふざけんな女子アナとかいうロールを着せてんじゃねえよっていう自分もいて、すごく引き裂かれている。だから、勘違い女って言っちゃう人はひどいなって思うんですけど、言いたくなっちゃう気持ちもどこか分かっちゃう。女性か男性かというよりは、何なんだろうな、男女ではないと思うんですよね、嫌悪したり憎むべきものだと思っている学歴至上主義的なものとかブランド主義みたいなもの、でもどこかで羨望があったり、自分が強者の側に立てるときには立ってみたいっていう欲望があるのかな。でもその欲望が誰によって植え付けられたのか、いつどんな形でそれが内面化したんだろうか。読めば読むほど、すごく自分の見たくないものを見てしまったんですよね。

 

姫野さん:

 私も書いてて嫌でしたね。

 

小島さん:

 姫野さんにも分かっちゃう気持ちがあったんですか?

 

姫野さん:

 すごい、竹内つばさって自分だと思うんですよ。加害者全員、ここに書かれている譲治も、嫌な人って書かれている登場人物って、自分だと思うんですよ。自分だと思うし、書いている時って登場人物って勝手に動くんですね。美咲を見ていると「なんでもっと勉強しないの?」とも思うんですよ。こっちが一生懸命勉強している時に、ダラダラダラダラしているって思うから。慶應付属高にお金持ちで行ったジジイって呼ばれていた人たちを怒る気持ちとかもホンマやなと思ったり、ずーっと子どもの時から慶應で慶應(大学)卒って学歴詐称じゃないかっていうこの人の気持ちも…

 

小島さん:

 つばさ君が慶應蔑視をしているっていうくだりね。

 

姫野さん:

 そういうような気持ちとか、全部そこに書かれている嫌なものっていうのは、全部自分が持っているものなんですよ。だから、書いているとものすごく嫌だったんですよ。書いている間中会う人に「顔色が悪い」って言われたんですね。すごく嫌な気持ちで。だから読む人もすごく嫌な気持ちだと思うんですね。でも読んでしまうのは、できものとかニキビができた時に、放っておきなさいって言われても気になっていじってしまってまた膿んでしまって、放っておけば良いのにまた余計に見てしまうような気持ちになっていくんですよね。だから、そういうふうな汚い、嫌なものっていうのは、全員が持っているんじゃないかなと思います。

 

小島さん:

 私もそう思います。ただ、それで言うとね、東大生の立場からすると「お前だってそういうドロドロしたものを持っているのに、東大に入っている人間に全部着せるなや」って思いますよね。東大生であるからそうしたドロドロを全部背負いなさいみたいにね、東大の悪口を言っている人間の中にだって、その悪口を言っている東大的なるものがあるはずなのに、自分はまるで身ぎれいなような顔をして、東大に入ったのだから、東大に入ったお前が汚れをやれと言うのは理不尽な気持ちがするのかと。だから、もしかしたら瀬地山さんのゼミの女子学生の方がおっしゃったという、集団としての東大をおとしめるという目的なのではないか、そうした効果しかなかったのではないか、どこか被害者というか自分たちだけが被せられている理不尽さみたいなのをお感じになるかな。でもそんなのは口にした途端「何だよ、東大生勝ち組のくせに被害者面かよ」とかって言われるって分かってるから言えないですよねぇ。それは、出しどころがないのはかわいそうかなぁという気がするので、それでいうと香里先生が言っているように東大の弱さをさらすっていうのはそのことで、東大生の感じている、世間からバッシングされるであろうけども実感としての理不尽さというものを言語化するというのは、一つありなのかなぁという気がするんですよね。だって、メディアはあまり面白い話じゃないから報じないじゃないですか。

 

林先生:

 私が言いたいのは、加害者が誰かですよね。だから、そういうことを言われてそういうふうにおとしめる小説だという結論だとしても、小説を責めるのは違う気がするんですよね。そうじゃないんですよ。私たちが戦うというか、もっと良くしていこうって思う相手は、小説じゃないんですよね。小説は非常に重要なきっかけで私たちにテーマを与えてくださったと。それを今度は題材に私たちが議論をして、ここに何か問題を見つけるっているのはあって良いんじゃないかなって思います。それで…

 

小島さん:

 あ、島田さん、もし何か…

 

島田さん:

 すみません、先ほどの話、瀬地山さんのご指摘良いなぁと思ったんですけど、これ小説のリアリティーっていうことはいつも視点が要ることであって、私の知り合いの警察官とか医者は、絶対警察小説読みませんとか、医療小説読まないっていう人がたくさんいて、それはどうしても小説家の方は1人でいくら話を聞いて書いても、世界の空気までも完全に再現するっているのは、ノンフィクションじゃないので目指してませんし、その小説家の体をろ過して出てきたものでしかないということなんです。そこにいる人から見るとどうしても違和感を感じるんだけど、逆にいうとさっき姫野さんが「東大生に向けて書いたものではない」って言ったことは言い訳でも何でもなくて、一般の人たちが読んだときにさらに事実を超えたリアリティーみたいなもの、例えばこういうふうに行動するだろうなとか、そういうリアリティーを感じさせるのが文学作品としてはすてきだと思っているので、瀬地山さんがおっしゃることはよく分かるんですけども、これはそういうふうな読み方をされるテキストではないと思っているっていうのが一つと、もう一つ、私たちは東大でも何でもないんですけども、自分の大学でこれが小説になったときに、「わあ、こんなの全然違う、読めない、嘘ばっかりだ」というふうには思わないと思うんですよね。そこがちょっと東大らしさっていう断定はできないんですけど。

(会場笑い)

 

小島さん:

 ファクトを大切にする人が多いのかな?

 

島田さん:

 僕はそうは思わないので、それをネガティブに言っているわけではなくて、それを自分のことのようにしっかりと本を読む、それを自分の知っている人であるかのようにちゃんと読む、そんなに知らないよ関係ないよで終わっちゃうところをきちんと読まれているところはすごいなっていうことを逆に言いたい。

小島さん:

 あの私、島田さんの話を聞いていて思ったんですけど、それならファクトにこだわるところがいかにも東大生らしいよねっていうところは、東大の人にしてみたら、香里先生のおっしゃるようなことに置き換えて考えてみると、要するにこの小説で何が語られているかっていうその文脈とか、その小説が書かれた動機だとか、その小説が自分の心に何を起こすのかというところを読むのではなく、三鷹寮が広いか狭いかということを読み、「お前、三鷹寮が狭いことを知らないなんて馬鹿だろう、馬鹿の言うことなんて信じねえわ」っていう心性…

 

瀬地山先生:

 いや、それは違うん…

 

(会場笑い)

 

小島さん:

 東大生が、じゃないんです。そういう心性にさらされて嫌な目に遭うことってあるじゃないですか。それは東大生が言うかどうかじゃないんです。だけど私たちが普段働いてたり、人とコミュニケーションしているときに、大事な話をしているのに、大事な話をしている途中で「いや、いま数字が違ったよね、この数字が違うことにも気付かない馬鹿の話なんか聞けないね」っていうような扱いをされることってあるでしょう? それをやる人が東大生なのかどうかじゃないんです。そのような形で人の口を封じたり、人間をランク付けする眼差しにさらされて嫌な思いをすることってあるじゃないですか? で、それを誰がやるかっていうのを、東大生にやらせるとすごく納得感がある。すごくコンテンツとして成立しやすいから消費されている、そして東大生としては大迷惑かもしれませんが。私たちはそのような眼差しに、いつどこでどんな形でさらされるのか、その眼差しはどこからやって来るのかということは、まさに林先生がおっしゃるように考える価値があると思いますし、それを全部「東大」っていう固有名詞で置き換えて東大におっ被せたら、まあ東大叩きをしていれば良いやっていう溜飲を下げて終わるかもしれないかもしれないけれど、世の中は変わらないですよね。だから何に苦しんでいるのかというところに考えが至らないかなって今の島田さんの話を聞いていて思ったんですけど。大丈夫だったかな?

 

瀬地山先生:

 なんか、劣等生の屈折した醜さっていうふうに語ってくれたらもう少し読めたという気がするんですよ。やっぱ優等生に読めるところがちょっと違うなっていうところです。だから、引け目を感じたことがないっていうところがあるわけですけども、いや、だからやっぱり、三鷹寮広いはどうでも良いならどうでも良いんですけど、そういうのが、細部がどうっていうわけではなく、それがものすごくたくさんあるんですよ、読んでいくと。だから入り込めないんです、学生さんが読むときにね。それはそうだったんだろうという気がするんですよ。

 で、そこで繰り返しになってしまいますが、割と挫折なくきているっていう描写があり、これはもう挫折をしているっていう屈折の醜さの表現であるはずなのに、ここが記述されない分だけ、飲み込めないものになってしまったんじゃないかなって。で、そこをだから、挫折の醜さがあるからこそ、東大というブランドの醜さがきれいに出るはずなのに、何かすごくそれをピカピカに出し過ぎているような印象が私にはあります。

 

林先生:

 そうやって、いろいろと挫折している東京大学の学生さんがいらっしゃることは分かるのですが、その小説がだから入り込めなかった、何でこんなモチーフで書いたんだっていうことは、まあ一つ。しかしながら、いま今日トークやってよかったなと思うんですが、姫野さんが一般の人が入り込めるように、一般の人がストーリーを追えるように書いたと。私たちが何となく東大生ってツルッとしているよねとか、オッケーねっていうふうに理解しちゃうんですよね、外から見ると。それなのに、それなのに挫折があってって、じゃあ何で外からはスルッとそういうことが飲み込めてしまうのかっていうことを、一度東大生として振り返って、東大生がもし知性が、最高学府だと、私もですね何回も会議で「東京大学は最高学府なんだからね、ちゃんとしたお手本を見せるような教育をしなさい」とか言われますけども、そういうような知性を持っていたらそこでこそ知性を働かせて、想像力を働かせて、そのスルッと感をもっともっと自分たちで追求して、これが私たちに押し被せられているんだったら、違う東大っていうものを考えてみたいっていうこのクリエイティビティ─に変えていくエネルギーがあれば、私は本当にこの小説っていうのが、東大生のためだというふうに思うわけなんです。

 

小島さん:

 いま深く頷いていらっしゃいましたが。

 

姫野さん:

 まあ、この授業でこれを使いますからというようなものではないので、入り込めないっていう方は別に読まなくて良い…

 

(会場笑い)

 

島田さん:

 挫折挫折っていうふうな描写であって、人の挫折にそんな上も下もないので、みんな苦しんで生きているわけだと思うんですけども、この小説が挫折したのが僕はボーイミーツガールの話だと読めると思っているんですけど、悲惨なボーイミーツガールなんですけど、挫折した東大生と、主体性のない女の子の恋愛小説ではないんです。恋愛において、挫折したっていう要素はそんなに、あの、そこでリアリティーを感じないっているのが瀬地山さんのお考えなんですけど、それはもう個々人で違うと思います。こんなツルツルピカピカの人は犯罪を犯す理由はないという人もいれば、ツルツルピカピカだからこそなんだろうと納得できる方もいらっしゃると思うんですけど、それはそれで良いんだと思うんですよ。それはもうどっちが正解ってことはないんですけど、このツルツルピカピカで生きているつばさ君っていう人も、やっぱりそういう何か欠損がありました。この生育(環境)で、いろんな複雑な感情の襞とかに思い至らないというのは、これは彼の挫折だと思って僕は読んでいるので、そんな文字通りのただツルツルピカピカな人間であるっているのでは実際なんじゃないかと。

 

小島さん:

 つばさ君のお兄さんがね、つばさ君がずっと引け目に感じてた、麻武から東大法学部行って司法試験受けてたお兄さんが、ある日突然北海道のおじいちゃんのところに行っちゃってね、田舎の教師になるって言って、お父さんびっくり、みたいなね、このつばさ君のお兄さんと、あとつばさ君の同級生だった山岸遥香ちゃんね、ある好きな作家がいるから私は東洋大の文学部に行くんだって決めてて、なんかつばさ君は遥香ちゃんの話聞いてて分かんないなあと思うことがあるんだけど、「あ、東洋大の人間の話を東大の人間が分からないはずがないからこれは分からないのではない」って言ってスルーしちゃうみたいなくだりがよく出てきましたけど、この2人の登場人物、つばさ君のお兄ちゃんと山岸遥香ちゃんというのは、とてもこの小説の中での救いというか、この2人がいるからこそツルツルピカピカ度が際立つというかですね、東大とか学力とか学歴とかとは違う価値がそこにあるんだということが体現されていたり、意図して設定されていたのかな、と思うんですけどそれはどうなんですか?

 

瀬地山教授:

 逆に言うと、なんかその岩見沢に行くお兄ちゃんの方は「政治的に正しい東大生」が出てきてる感じがするんですよ。

 

小島さん:

 「こうであってほしい」と、期待をね。どうですか?それは。

 

姫野さん:

 そうですね。

 

(会場笑い)

 

小島さん:

 そうであってほしい?

 

姫野さん:

 そうですね。

 

瀬地山教授:

 逆になんか対比がね、クリアすぎるんですよ。そんな感じがします。

 

(会場笑い)

 

姫野さん:

 それが小説の技法ですよ。

 

小島さん:

 ああいう岩見沢みたいなね、その、高学歴とかね、麻武、東大、司法試験とかね、そういうものをかなぐり捨てて人のために生きるエリートであってほしい、という理想を、あのお兄ちゃんが体現してるんですよ。そこに(理想を)託した。――と言っていいんですか?そういうおつもりでお書きになった?

 

姫野さん:

 まあ、あのお兄さんいいなあ、いいなあ(と思って)。

(会場笑い)

 皆さん、よくキャラが一人歩きするっていう表現があるじゃないですか。けど、それ、非科学的でしょ? その人が書いてはるのに、そのキャラが勝手に動くってそんなあ、って。でも、ほんまにそれ、最初に構成してしまうので、そうせざるを得なくなる感じはあるんです。だから、本当に(登場人物が)勝手に動くんで、そうするとだんだんだんだん、ああ、このお兄さんなかなかええなあ、とか、あ、遥香ちゃんが出てきたらホッとするわ、とか、もうこっちもそんな感じでいるので、「どうでしょう、それはこういう風に託されましたか?」とか言われると、ああ、どうだろうなあ、と。まあ、答えられないですね。

 

小島さん:

 でも、「こういうのいいなあ」って思ったっていうことは、こういう東大生がいてほしいなあ、っていう気持ちの表れでもあるわけですね?

 

姫野さん:

 大勢いはると思うんです。そんな、岩見沢に行く人が、やね、

 

瀬地山教授:

 いや、そんなにぎょうさんいるとは思いませんけど。あまりにそういう意味でも理想化されてる、という意味においても、そんなにぎょうさんいるとは思えないんですよね。

 

姫野さん:

 (つばさの兄のような)さわやかな人が、さわやかーな人も、東大にいはると。

 

小島さん:

 私、いるかいないか分かんないというか、小説の中の人物なので、つばさ君もお兄ちゃんもどっちもいない人なので、

 

瀬地山教授:

 いない、いない。

 

小島さん:

 それはいるかいないかは言ってもしょうがないなあ、という気もするんですけど、でもなんかね、お兄ちゃんに対してつばさ君が感じていたコンプレックスだとか、エノキ君がエノキ君のお兄ちゃんに対して感じているものだとか、あとつばさ君と遥香ちゃんの会話でつばさ君が「何言ってるのか分からないな」って感じとかね、ああいう対比じゃないですけれども、通じなさとか、あるいは実は通じてしまっているから遮断せざるを得ない感じとかって読んでてすごく面白かったです。自分の中にもそういうものが他者との間にあるからだし、すごくそこが、小説って面白いな、ってそういうところだと思うんですよね。それが事実かどうかとか、そういう人物が実際に存在し得るかどうかっていうことを検証するのももちろんそれはそれで面白いんですけれども、ああ、こういうことってあるよな、とか、人間の得体の知れなさみたいなね、割り切れなさみたいなものを味わう場として、この小説って豊かなものだな、と思って。この作品に限りませんけどね、でも今回も(そう思って)読みました。

 今回ちょっとたくさんの方がいらっしゃるので、質疑応答タイムというものを設けました。今からですね、挙手という形でね、

(姫野さんが薬を飲む)

 お薬飲んでください、お薬飲んでください、ぜひ。

(会場笑い)

 すいません、本当にね、よかった。2個目持ってらっしゃったんですね。

 

瀬地山教授:

 そんなにいじめるつもりないです、私。

 

(会場笑い)

 

小島さん:

 ここの場でね、思いつかれた方から挙手して、ご質問いただければ。できれば、こういう立場で、(例えば)学生です、とかね、メディアの方でしたらお名前をおっしゃるとかね、よろしくお願いします。

(最初に挙手をした女性を当てる)

 

質問者:

 あ、すいません、まさか最初になるとは思っていなかったので。

 東大の院生の者なんですけど、瀬地山先生に質問というかコメントで、私が東大に5年くらいいる限りでは、私(東大に入ったのは)院からではあるんですけど、見聞きしてる限りだと、何人か加害者の方を見聞きしている限りでは、劣等生に限らなくて、かなり何らかの賞ですとか、業績を出しているような優秀な方が、かなり深刻な被害とか加害を行ってしまっている事例をいくつか見ているんですけれども、やっぱりその、なかなかその、何て言うんですかね、恐らく学内でどういったハラスメントが起きていて、どういった加害者の方が、加害者に限らないというか、どういった状況の中で被害が生じてしまっているのか、みたいな調査自体が東大ではほとんど、10年前に1回ある限りでないので、なかなか、エビデンスがどうなっているのかというのはなかなかこう、出しづらいと思うんですけど、やっぱりその、一概に「東大生がこうだから」ということで小説の事例というか、小説に描かれているような世界を否定することはちょっと難しいんじゃないかっていう、いろんな例が結局ありうるんじゃないかということと。

 後は、私がやっぱり見聞きしている中で、瀬地山先生が言った、劣等生ということで、なかなか授業についていけない学生ということでしたけれども、加害者を擁護する論理としては、例えば麻武とかエスカレーター式の学校で、順風満帆に東大に来れた人じゃなくて、地方出身で地方の高校、進学校の出身で、家庭的にもそこまで裕福ではなくて、それで非常に学業に精を出して頑張った結果、そのストレスで加害に走ってしまったみたいなことが、加害者擁護の論理としてすごく使われやすい現状があるなあという風に周りを見ていて感じたので、ちょっとその点をどう考えるかということをちょっとお伺いしたいなあと思いました。

 

瀬地山教授:

 はい、答えていいでしょうかねえ?その他に質問ありますか?

 まず、すいません、理系の方ですか?

 

質問者:

 文系です。

 

瀬地山教授:

 あ、文系ですか、はい。(通っているのは)駒場(キャンパス)ですか?

 

質問者:

 本郷(キャンパス)です。

 

瀬地山教授:

 本郷ですか、はい。えっと、すみません、本郷になるとちょっと管轄外というか、全学的な対応は何もできていません。それは本当に申し訳なく思っています。で、それから、特に大学院生になると、カバーが全くいってないというのが現状だと思います。で、それはおっしゃる通りです。なので、大学院生の周りでもそういうような課題がかなりあるのだとすると、最低限こちらができるのはハラスメント相談室を通じたコントロールしかないかな、という風に思っています。

 小説をどう読むか、とかいう話とは別に、私たちは現実に性暴力、性犯罪を根絶するということをやらなければいけないと思っていて、それは今おっしゃったようなさまざまな属性と関わったり関わらなかったりするのだろうと思いますし、性犯罪が起きる加害者の忖度を別にする必要はないんでしょうが、背景、バックグラウンドのようなものがそんなに単純であったりはしないと思うんですね、やっぱり。ただ、(性犯罪の原因を)まとめるとしたら、ある程度の蓄積がないと判断ができないようなものになってしまいますから、それをちゃんとやらないといけないんだろうということだと思います。お叱りの言葉として受け止めます。申し訳ございません。

 

小島さん:

 ありがとうございます。では、次の質問。

 

瀬地山教授:

 矢口先生が挙げてる。

 

小島さん:

 矢口先生、矢口先生・・・・・・。えっと、はい。お願いします。

 

矢口祐人教授(総合文化研究科):

 私も駒場で教えております、矢口と申します。小説の読み方ってほんといろいろあるんやな、って思って、えっと、恐らく文学研究をしている方がいらっしゃれば、何が正しくて何が正しくないかっていうのは、小説を読む方法としてはそれだけじゃないというところは当然あると思うので、学生さんで「ここが正しい、正しくない」っていう風に考えている方は、文学論を読んでみたらいいんじゃないかなって。私が・・・

(会場笑い、拍手)

 ただ私は文学者じゃないので、しかも私も20年以上この駒場で教えておりますので、どうしても当事者感覚で本を読んでしまうところがありまして、そうすると確かに「あれ、ここちょっと違うかな」とか「ここも違うな」というところはあると思うんですけど、ただ、大きなところの真実があると思うんですね。それは、5人の東大生が、集団レイプで逮捕されたと。有罪になったと。これは、紛れもない事実なわけです。このことは正しいわけですよね。これを忘れてはならないと思うんです。(『彼女は頭が悪いから』は)どうしてこういうことが起きたのかということを考えさせてくれる小説だと思うんですね。それ(事件の原因)は、学歴社会なんだろうか、あるいは問題は男女比なんだろうか、あるいはゆがんだサークル構造なのか、といういろんなヒントを与えてくれる小説なんじゃないかと思います。

 この(加害者の)5人が、この駒場キャンパスで学んだのは紛れもない事実なんですよ。東京大学で4年、5年いたのは事実なんですよ。で、東京大学はこういう学生が3万人中5人だからって開き直ることはできないんですよね。5人じゃだめだし、4人じゃだめだし、3人じゃだめだし、2人じゃだめだし、1人でもだめなんですよ。絶対にもう1人も生み出さないということを、学生と教職員に真剣に考えさせてくれる小説として私は受け止めてますね。これは日本においてもそうだと思うんですよ。1億2千万人の人口で、1人いてもだめなんですよ、これ。それを考えさせてくれる小説なんじゃないかなと思って私は読みました。ですから、三鷹寮うんぬんというのは確かに私も思いましたけど、本質じゃないんじゃないかな、という風に思います。

 で、当事者として私が最後に申し上げたいのは、私は教員ですから、すごく考えさせられたのは最後のシーンで、美咲の大学の先生が、彼女に最後に言葉を掛けてくれる。私はそういう教員であるのか、ということをすごく考えさせられました。われわれ東大の教員は、あれを読んで、当事者的に考えるのであれば、自分はそういう教員になれるんだろうか、そのためにわれわれ教員は何をしなきゃいけないのかな、という真剣な話し合いを、もっと大学の中でするべきだと思うんですね。で、瀬地山先生孤軍奮闘されてるわけですが、その瀬地山先生の努力されてることを、われわれ教員の間で真剣に話し合う機会ってあんまりないんですよね。そういうことをもっとしなさいよ、と言ってくれる小説かな、と思って拝読しました。以上です。

(会場拍手)

 

瀬地山教授:

 それもお叱りだと思って。いや、もちろん文学論として違うっていうのはよく分かりますが、(東大生の性犯罪を)ゼロにする、というのは、本当に私にとって、ここでジェンダー論をやってる以上最重要課題の一つ。あと東大の女子比率を上げること。これが私にとってのミッション、コミットメントなんですね。先程矢口先生が挙げられたもので言うと、私は最大の要因はやっぱ東大の女性比、性比の問題がこの背景に出てしまっているんじゃないかという風に、われわれができるとしたらそこの点かな、というのは強く思います。外国からの留学生の人たちがよく言うんですが、いわゆるインカレサークルを見て、”How stupid!”とかって言うんですよね。まだそんな馬鹿なことをやってるのか、というのが(外国人留学生の)感覚なんだと思います。この犯罪の構造にもそこがやはり作用してるように思うので、東大の女子学生比率の問題というのが非常に大きく、犯罪としては背景にあったんじゃないかな、という風に一つは思います、はい。そんな感じですかね。

 あ、で、で、当然ですがセクシュアル・コンセントの話はずっと講義ではやっていてですね、最低限のことなので、それぐらいはきちんと徹底したいといつも思っています。

 

小島さん:

 実は先日、東大でですね、恋愛相談のイベントが異常に盛り上がるという、異常に豪華なメンバーで恋愛相談が行われたんですね。國分功一郎さんとかね、例えば信田さよ子さんだとかもね、お呼びしてという、そんなイベントをされた清田(隆之)さまですね、桃山商事の清田さんも何と、会場にいらっしゃるということで、さっきちらっと手も挙げていらっしゃったので何かご質問があればぜひお願いします。

 

清田さん:

 僕は恋愛とかジェンダーをテーマにいろいろ文章を書く仕事をしているんですけど、個人的にこの小説を友達から薦められて読みまして、ただただひたすら一人の自分のこととして本当に落ち込む瞬間が多々あって、それはこの彼ら男性たちおよび、被害者バッシングをした人たちの発言とか心の動きとかそういうものと、まあ相似形の気持ちとか感情が自分の中にやっぱりあって、それがもういろんな瞬間に刺激をされて、中学生のときのこととか高校生のときのこと、いろんな瞬間をなんか思い出させられて、「うっ」ってなって、その気持ちがすごいエネルギーになっていろいろ書評を書かせてもらったりもしたんですけど、ちょっと東大という記号からは離れてしまうかもしれないですけど、男性、まあ男性女性関わらないかもしんないですが、例えばスポーツ、部活とかでちょっとプレイヤーとしてうまい子、ちやほやされる方に立った時とか、クラスで面白いとされる側に立った時とか、小さな集団の中でモテる側に立った時とか発言力がある側に立った時とかに感じる快楽のようなものとの距離の取り方っていうことが、(『彼女は頭が悪いから』を読んで)一番自分の中にテーマとして重くのしかかったわけですけど。

 質問になるんですけど、138ページのところで、姫野さんが「ミソジニーは徒弟制」というような表現を書かれていて、なぜかそこの一言がものすごく個人的に心に残ったというか衝撃を受けたところで、自分たちが、自分が何となく、なんにも意識せず空気のように吸い込んでたというか知らぬ間に醸成されていた感覚とか、ちょっと強者の側に立った時に感じる気持ちよさ、その気持ちよさをなんかもう十全に味わってみたい、とか、そういうような感覚を、徒弟制のように自分がいろんな周りの人から受け継いでいたのか、とか思わされたんですけど、姫野さんはなぜこの「徒弟制」という言葉を用いてそれを表現したのかというのがとても気になったので、そのことを質問したいなと思って今日来たんですが、ちょっと抽象的な質問で申し訳ないんですけど、いかがでしょうか?

 

姫野さん:

 今の質問は、なぜ徒弟制という言葉を、形容をしたかっていう質問ですか?

 

清田さん:

 そうですね、その徒弟制という言葉で表そうとしていたものがどういうものなのか、そういう言葉をなぜ選択したかっていうことがすごく気になっています、はい。

 

姫野さん:

 うーん、徒弟制だからです。

 (会場笑い)

 私も共学でずっと過ごしたので、容赦のない「顔コンテスト」みたいなのを男子にされるわけですよ。それにある時気付いて、ここ(138ページ)に書いてある通り、(美咲は)女子校育ちですけど女子校でもランク付けってあるんですよね。だけど、男子が女子を「かわいい」って判定するのは必ずしも、鼻が高いとか、髪がきれいだとかスタイルが良いってことじゃないんだけど、何かがあるんですよ。「それはこれです」っていう風に言い表せないものが。昔の徒弟制って親方が全然教えてくれなくて、何となく弟子は学ぶしかなくて、本当に男子が、この場合は男子が判定するものなんですけど、それは女子もやっぱり判定してるんですよね。だからそれ(判定基準)が何なのかっていうのが、うーん、「こうです」っていうのが言えないな、って割と小さい頃から思っていて、それで思い付いた形容ですね。

 

清田さん:

 ありがとうございます。なんかその、ほんと、言葉にし得ない、こうとしか言えないもの、でも自分たちはいろいろ自分の中に取り入れてしまったものが何なのかというのを改めて考えるきっかけになったな、と思って、それで心に引っ掛かったんだと思います。ありがとうございます。

 

姫野さん:

 こちらこそありがとうございます。

 

小島さん:

 ものすごい数が挙がってる。ものすごい数になってしまった。誰から当てればいいんだろう。じゃあ、姫野さんの目に入った人を当てましょう。

 

姫野さん:

 いや小島さんが決めてください…

 

小島さん:

 私ですか?じゃあ…(手を挙げたのが)ほぼ同時ですか?正面ピンクの方かネクタイの方。

 

島田さん:

 学生さんがいいかと

 

大澤さん:

 学生さんが…

 

小島さん:

 学生さんですか?学生さんだけ手を挙げてください、じゃあ。…ネクタイの人もピンクの人も違いましたね。じゃあ…

 

島田さん:

 あちらのベストの方…

 

小島さん:

 じゃあ、そちらの、ベストを着た方。

 

質問者:

 今日は本当にありがとうございました。

 僕は、沖縄からここに来て、東大の2年生をしてます。率直に読んだ感想としては、ああ、なんか覚えたての、そういう進学校の名前の人たちが、暴れ回ってる世界はこんなものなのかって思った一方で、でもやっぱり、瀬地山さんがおっしゃるように、結構細かいところ違うし、結構東大生の誰もが思っている小さい感情を、1千倍ぐらいに増幅させて、それをめっちゃまき散らしてる、みたいな。なので、すごい分かるところは分かるし激しいところは激しい。それを批判するつもりは全くなくて。

 一つ確実に自分の中でも分かったのが、僕は沖縄から来たんですけど、沖縄って東大に入るのが一番少なくて、僕も母子家庭で、塾にも行かんで、マジで1人で勉強してて、相当挫折はしたし、そこを主観だから挫折してないって言われるのはすごいしゃくなんですけど、そういうのも置いといて、確かに僕は東大を目指してて、高校にいる時にさっきあちらの方おっしゃってたんですけど、すごいいろんな授業でちやほやされてたんですよ。合格した時も、もういろんなところで声掛かって、学校にも横断幕掛かって。

(会場笑い)

 めっちゃちやほやされたんです。言ってみれば高校の時はめっちゃモテて、でも大学来たら当然、マジで何もないんです。「東大」って言っても「で?」みたいな。すごい切ないし、「ああ、そうか」と思って、もちろんそれまで彼女もいたことなかったし恋愛もしたことなかったので、初めて仲良くなった人とかに、じゃあどうやって扱ったらいいか分からなくて、すごくひどいこととかいっぱいして、1年くらい経つんですけど、めちゃくちゃ悪かったなって思うんですよ。当時、自分が。だから、(加害者が持っていたのも)こういう感情なんじゃないかな、って実は思って。

 これ、東大生の権威を振りかざしてるみたいな感じの書き方で、みんなそれに執着しがちだけど、実はそうじゃなくて、東大にいくために一生懸命頑張ってここまで来て、それをみんなに評価されて自分もうれしいのに、本当は女の人がどんなこと考えてるかも分からないし彼女もいたことないし親は「彼女いるの?」って聞いてくるし。

(会場笑い)

 そんな中で、「ちょっとぐらい女の人と関わった方が良いよね」って思ってるから、自分がみんなに自慢できるのは東大しかないな、って思ってやってるっていうのが本音だし、だからそこは、「俺は東大だ」って言って威張ってるんじゃなくて、実は彼女もいたことないし、男子校だし、女の子との絡みもないし親も心配するし、僕もゲイだと思われてたんですけど。

(会場笑い)

 その中で、女の子と関わる機会がはたちにもなってもない、ヤバいな、って思うから手を出す、っていうのはすごい分かるし、自分の中でも(彼女がいない)本当の理由は、東大だからっていうよりも、東大に行くために頑張って異性経験がなかったからなんじゃないかな、って思ったりするんですよ。

 なので、まあ質問でも何でもないんですけど、そういう話も、今度(姫野さんに)小説で書いてくれたらうれしいな、って。

(会場笑い)

 以上です。

(会場拍手)

 

姫野さん:

 (私の作品の中には)そういう風な話もあるんですよ。

 また別の機会に読んでください。以上です。

 

小島さん:

 えーっと、じゃあ、時間にはなってるんですけど、じゃあ、あと、あとお一人。あとお一人?はい。

 

瀬地山教授:

 女性…

 

小島さん:

 女性の学生の方がいいですか?

 

瀬地山教授:

 女子学生ですね

 

小島さん:

 ずっと手を挙げてる人。手が一番血の気がなくなってる人。

 

瀬地山教授:

 東大の女子学生、東大の女子学生で。

 

小島さん:

 えーっと、どなたですか?

 

島田さん:

 壁際の方…

 

小島さん:

 壁際の方、はい。

 

質問者:

 お話ありがとうございました。東大の3年生で、先程紹介していただいた恋愛相談の企画をやっていた者なんですけど、それをやろうと思ったのがまさに、この本(がきっかけ)というか、あの事件があって、もうちょっと考えた方が良いんじゃないかっていうことを思って、特に「加害と被害」ということをテーマにして今回はやって。

 私がこれを読んで思ったことなんですけど、いろいろ細かいところが目に付くっていうのは、かなりリアリティーを一定程度感じるから逆に、小さな差異が気に掛かるというか、そういう風に思っていて。恋愛に限らず、何て言うんですかね、これ(『彼女は頭が悪いから』)の最後の方に東大卒の弁護士が少しだけ出てくるところがあるじゃないですか、裁判のところで。それを読んで私が思ったのは、東大生っていう、学生だったら、こういう言い方は良くないかもしれませんがまだ良いと思うんですけど、そういう人たちが、特に学生の間に事件も起こさないで、職業に就いて、弁護士だったりとか医者だったりとかっていう風に、偉い職業に就いて、そういう人たちが、ある意味弱者、患者さんであったりとか、弁護士であったら自分のクライアントに対して、そういう(東大生の頃のままの)価値観を持ったまま接するっていうことがものすごく問題だと思っていて、それに対して、大学の教育っていうのが、恋愛のこと、性的同意とかのことを教えるのはもちろんなんだけれども、もう少し包括的に、何か倫理的なことをできないかな、っていう風に考えてたものですが、何かアイディアがあったら教えてほしいな、っていう風に思います。

(会場拍手)

 

小島さん:

 えー、姫野さんにじゃあ、お答えいただきたいです。

 林先生と瀬地山さんに聞いてくれ、と。林さんと瀬地山先生に答えてほしい?

 

瀬地山教授:

 倫理、とおっしゃいました。性的自己決定権とか、セクシュアル・コンセントってのは、もちろん倫理なんですけど、手続きなんですね。基本的に、”If it’s not Yes, it’s No.”っていう、非常にシンプルな原理に基づいた、手続きだと思っています。その最低限の手続きを、最低限共有するっていうことができていない、というのが、今回の犯罪だと思っていて、それをどうやったら…。私もできる限りのことをしようと思っていますが、最低限の手続きについて合意される(ことが必要だという)ことを発信し続けるつもりです。

 

林教授:

 どうしたらいいかというのは、いろんなことが考えられると思います。で、問題は、まず構造とか制度として、先程瀬地山先生がおっしゃったように、矢口先生もおっしゃったように、男女比が非常にゆがんでいるからこういう問題が起こるわけですけど、じゃあそれに対して私たちがソフト面でね、何かできるかというご質問だと思うんです。これは私の意見ですけど、東大はですね、部局っていうのがあって、私は情報学環っていう本郷の大学院部局ですから、他部局のことをどうこう言うことは完全なタブーなんですね。一つ一つの部局っていうのは一つの王国ですから。なので、こんなことを言うとすごく怒られることを承知で申し上げますと、やはり、東大でやっぱり1年生、2年生っていうところで、教養学部というのがありまして、東大の学生は全員がそれを通って専門に分かれるわけですから、その1年生2年生で、少なくとも教養という言葉でくくるその課程では、やはりジェンダー教育を、必須にするべきじゃないかという風に思っていますので、ですから、瀬地山先生のような先生が、何人もいて、東大の学生さんが、男性のイメージ女性のイメージあるいはセクシュアリティーとか体の問題、そしてそれをどういう風に表現するか、そして社会でどういうインタラクションを持っていくのか、という。

 この話は、それほど簡単じゃないんですよね。男女っていうのはすごく当たり前に考えているけれど、これは瀬地山先生が一番ご存じだと思うんです、ご専門で私なんかが言うことではないんですが、(男女という)最も当たり前のことを疑って知的な営為を体現していく、難しい研究なわけです。その一部は、やはり教養の一部として、私たちみんなで学んでいくべきで、学生だけではなくて教員や、あるいは事務員みんなでそういう姿勢を作っていくっていうことが重要なんじゃないかな、と思います。それは私、いろんなところで言ってはいますけど、少数意見なので、ぜひですね、皆さんがこういうことを合意して、何て言うんですかね、ムーブメントになるといいな、って思っています。

 

瀬地山教授:

 一言だけいいですか。教養の側、上は総合文化研究科ですね、教養の側に責任がある、というのはおっしゃる通りで、私も、

 

林教授:

 責任があるって・・・

 

瀬地山教授:

 いや、できるとしたら教養学部がやらなきゃいけない、っていうか仕組みとしてそうなっていて、私はまず、仕組みとしてジェンダー論が理系に開かれている、文理問わずに理系に開かれてジェンダー論をやっていて。もし添えるとすれば、500人講義をして、感想の中で「この講義は必修にすべきだ」というのを毎年、言ってくる人たちがいます。その程度に基礎的な知識が欠落してる、というのを(受講者の学生が)言ってきているので、そういう需要がある、間違いなくある、というのは思っています。でも、500人の採点は一月かかるので、これ以上増やされても私の能力の限界をちょっと超えています、はい。すいません。

 

小島さん:

 はい、たくさんね、感想をいただいたんですが、もうね、時間となりましたので今日はここまでになりますが。今日ね、あんまり話題にならなくて、時間の限りもあったんですけど、清田さんがちょっとおっしゃいましたけど、すごくこの小説は私読んでても、学歴っていう記号のね、読み方もできるけどもう一つの、「女という見た目」っていうところでいうと、まさに徒弟制の話でね、かわいい子とかわいくない子っていうのをどう読み解くか、とか、あとさっきちらっと姫野さんがおっしゃってた「女が女に課す見た目の呪い」みたいなのがあって、女の人がどんなように消費されていくのか、そこに見た目というのはどのように関わってるのか、そのしんどさも描かれていて、そっちの文脈で、もう一回これぐらいのシンポジウムができるんじゃないかと思うくらい、本当にいろんな読み方のできる小説だと思いました。ぜひ今日のことをですね、皆さん周りにね、感想なんかをシェアしていただいて、この本をね、いま6刷りまで来ているそうですけど、より広くいろんな方にいろんな読まれ方をするようにですね、頑張ってできるだけシェアしていただきたいと思います。

 今日は遅くまでありがとうございました。

(会場拍手)

 

【東大新聞オンラインPICK UP】〜恋愛編〜 バレンタインデーに備えて

$
0
0

 今年もバレンタインデーが近づいてきた。気になる異性をいつもより意識してしまう読者もいるかもしれない。今回は過去に東大新聞オンラインで公開した記事の中から「恋愛」をテーマにしたものを選び、お薦めの記事として紹介する。恋愛話のネタにするもよし、アドバイスとして役立てるのもよし、ぜひ気になる記事は本文を読んでみてほしい。

 

(左上から時計回りに)恋愛相談に答える新上幸二さん、デートの思い出を語ったはあちゅうさん、「モテるためには?」という質問に回答する東大生

 

 まず、東大生の男女から寄せられた恋愛に関する悩みに、恋愛相談の専門家・新上幸二さんが答える記事「お悩み解決 東大卒の恋愛専門家から恋に煩う東大生へ 赤門恋愛相談室」だ。相談内容は、遠距離恋愛を続けられるか、異性との出会いが少ない、好きだった人を諦めるにはどうするか、などさまざま。新上さんからは「『出会いがない』はよくある悩みだが言い訳では」など鋭い指摘があった。

 

 二つ目も同じく東大生の恋愛の悩みに新上さんが答える記事「東大生の恋愛事情とは? 専門家が東大生にアドバイス 失敗重ねて恋愛上手に」。こちらでは相談する学生の状況に応じたアドバイスを送っている。「恋人がいる男性」には関係を持続させるポイントを示す一方、「恋人を特に欲しいと思っていない女性」にはそのような考えを持つ人が増えていることに触れた上で「恋愛で得られる経験は貴重」なので学生のうちに経験してほしいと述べた。

 

 次は、東大新聞が作成する受験生向け書籍『東大2019 東大オモテウラ』からの転載記事「【東大2019③】東大に入ってもモテるとは限らない」で、恋人ができずに悩む東大のある男子学生の声を取り上げたものだ。所属する部活やサークルには女子部員が少なく「もっと異性と交流する機会を見つければよかった」と後悔をにじませる学生。悔いのないよう積極的に動いた方が良いと思わせられる記事だ。

 

 四つ目の記事は「東大生がモテるには?」というテーマの下で学生から募集した声をまとめた「『東大生がモテるには?』を本郷で調査【東大新聞フォーラム】」。20件近い回答の中には「モテようとすることを怖がらない」など多くの名答が出た一方、わずかながらユーモアのある珍回答も見られた。一番共感できる回答がどれか、探してみるのも良いかもしれない。

 

 最後に紹介するのが、メディアで恋愛コラムなどを執筆していた「はあちゅう」こと伊藤春香さんへのインタビュー記事「恋に慣れない東大男子とも仲良くしておくべき理由 はあちゅうさんインタビュー1」。冒頭で東大大学院出身男性との期待外れだったデートの様子が語られる。後半では、東大の男子にデートがうまくなる方法を提案したり、東大の女子に恋愛を楽しむコツについてアドバイスした。

 「東大新聞オンラインPICK UP」は東大新聞オンラインに掲載された過去の記事から、特定のテーマに沿ったお薦めの記事を紹介するコーナーです。

『彼女は頭が悪いから』作者・姫野カオルコさんインタビュー 小説に込めた思いとは

$
0
0

 2016年に起きた、東大生・東大大学院生5人による集団強制わいせつ事件。世間に大きな衝撃を与え、多くのメディアを騒がせた。あれから2年以上がたった2018年7月、事件に着想を得た小説『彼女は頭が悪いから』が出版された。人々の根底にある差別意識をえぐり出した小説として話題を呼ぶ一方、2018年12月に東大駒場キャンパスで開催されたブックトークイベントでは、小説中の、東大に関する事実と異なる描写や誇張した表現が「東大への誤った認識を生む」などと批判の声も一部から上がった。イベント当日は体調が悪く言葉足らずに終わってしまったという姫野さんに、この小説に込めた思いやイベントを通じて伝えたかったことを聞いた。

(取材・楊海沙)

 

姫野さんの小説『彼女は頭が悪いから』(写真提供:文藝春秋)

 

きっかけは被害者バッシングへの違和感

 

──『彼女は頭が悪いから』執筆の動機をお聞かせください

 この事件が報道された時に、ひどく不思議に思いました。現場には女性が2人いたのです。裸にされた被害者をAさんとして、もう1人をBさんとすると、Bさんは「こんなことやめなよ。こんなの犯罪だよ」と男性達に言ったのです。そしてAさんに「帰る?」と聞きました。でもAさんはずっと動かなかったので、Bさんは先に帰ったのです。「帰る?」と聞かれたのに帰らなかったAさんに対し「Aは自分で残ったんじゃないか」「この女にも責任がある」という意見がインターネット上などに多く上がった。でも私はそこに引っかかりました。「なぜ彼女は残ったんだろう?」と。男にからかわれて裸にされている現場を同性に見られた上で、その同性に「帰る?」と聞かれて「うん帰る! 待って!」とすぐ体が動く女性が当たり前にいるとは思えなかったのです。

 

 そして、Aさんがバッシングされるもう一つの理由がありました。加害者の中に彼女とセックスをしたことがある男がいて、「なんだ、すでにヤっているんじゃないか」という声がありました。私はそういう関係にあった男がいたからAさんは東大生たちについていった、そしてAさんはその男に特別な思いがあったのではないかと思ったのです。彼とセックスする関係になるまでの経緯が気になりました。でも、報道ではそのような事件の背景にあった人間関係は報じられません。Aさんにとっても不幸で、東大生にとっても不名誉な事件にはもっとささいながらも込み入った、普遍的な経緯や理由があると思いました。こうした部分を小説にしようと思いました。事件を事実に基づいて忠実に書くのならプライバシーを暴く矮小なことになってしまうので、フィクションという形でしか書けないことをつづろうと思った次第です。

 

 私は今年61歳です。まだ年若い現役学生の中には、この本を読んで「東大が悪く言われている」と嫌な気分になったり、腹を立てたりする人がきっといるだろうと思っていました。どこの大学であろうが,若い頃というのは「木を見て森を見ず」に陥りがちです。この事件そのものが良くない事件である以上、加害者の東大生の凶悪性も描かれているので、自分のことを言われているように感じてしまう若い興奮が起こるだろうと。もし森が見えずにそうなったのなら、私の顔写真をプリントアウトして釘を刺すなり叩きつけるなりしてください(笑)。

 

「東大報告書」ではない

 

──小説内には「東大は女子率1割(※編集注:2018年度において東大全体で18.6%)」や「三鷹寮は広くて新しい」、理I男子はモテるという趣旨の描写などなど事実と異なると東大生が感じてしまうような描写がいくつかあります。東大で開かれたブックトークイベントでは、ジェンダー論が専門の瀬地山角先生が同内容の指摘をしました。小説中のこのような描写には意図はあったのでしょうか

 東大に関する情報は東大のホームページで調べたり、東大卒の30代弁護士にアドバイザーになってもらったり、東大卒の文藝春秋社員にもゲラを読んで問題点を指摘してもらったりしていました。「女子率1割」という記述に関しては、女子が少ないことが読み手に即座にパッと伝わるようにしなければならないと思ったからです。20%の壁を超えられていないのは事実。それを四捨五入して2割と書くか、10%台として1割と書くかの違いです。少ないという意味では1割も2割も変わらないと見なされチェックが通りました。

 

 三鷹寮については、そもそも小説内に、そこで何かあるシーンは一カ所たりとも出てこない。「三鷹寮は広くて新しいらしい」と思っているのは小説内の登場人物・竹内つばさです。つばさは渋谷区広尾生まれ広尾育ちで、寮に入ることがないような恵まれた家庭に育った。もともと東大には古い寮があって、学生運動の温床になるとして取り壊された。それに比べると、三鷹寮は一度建て替えられていて広尾からすれば郊外の三鷹にあるのだから「広くて新しいらしい」とつばさは思うわけです。そして三鷹寮の家賃(※編集注:三鷹寮の家賃は月11,500円)と価格帯が同じ民間アパートはもっと狭いことを考えると三鷹寮は「広い」、というのも地方出身の登場人物・エノキの事情の記述です。登場人物の心情独白と地の文の混乱をせず、落ち着いて読んでね……。

 

 「彼女(彼)ができない」という悩みは、ちっぽけだけど大きいこと。どの大学のどの男子や女子にとっても。私は1990年前半から、処女であることを自責する主人公の小説『喪失記』をはじめ、 ジェンダーをテーマに数冊書いてきたので切実に分かります。 いくら東大がトップ大学だからって入学してすぐ異性慣れするわけない。勉強頑張ってたんだから。頑張ってるんだから。この小説のつばさだってそうでした。ところが、ふとしたはずみで彼女がすぐできる人もいるんです。つばさは兄弟構成の弟です。同性きょうだいの下というのは兄や姉で予行演習するから要領がいい傾向がある。もちろん例外はありますよ。東大どうのではなく、生育環境や社会の構造の中での要領のいいヤツの具体例を物語の中に組み込みました。たまたま、つばさたちは要領がいい。そんな彼らがせっかく東大に入りながら、東大生という肩書きをおかしな方向に使ってしまった。彼らの中で徐々に醸造されていきながらも彼ら自身には見えていないゆがみを「つるつる、ぴかぴか」という暗喩に皮相的に込めて描きました。もし東大事務局から、ホームページで東大を目指す高校生にキャンパスライフを紹介してくださいと依頼されたのなら、こんな人たちのことを書かず、暗喩も入れませんが。

 

 先日のブックトークイベントでは、この小説を、東大生全員が、東大報告書として読み、報告書として間違っているので怒っていると聞かされました。暗喩はまったく届かなかったのですね……。怒るというなら、私は、東大に入れたような優秀な能力を、こんなこと(集団強制わいせつ)に使ったつばさたちに対して抱きます。東大生全員が画一的な読み方をしたわけではないと信じたいです。

 

東大生には紳士や淑女であってほしい

 

──ブックトークイベントで、姫野さんが伝えたかったことは何でしょうか

 ここまで話したことに加え、東大生の皆さんにお祝いの言葉を言おうと思っていました。ちょっと遅いですけど、若い学年の皆さんにお伝えしたい。「東大合格おめでとうございます」と。

 

 日本一の大学に入学されたことで、「東大なんだ! すごいね!」と言われるたびに、「ああ、もうやめて」という思いも、もしかしたら出てくるかもしれません。でも、「東大なんだ、すごい」はどうしたって事実です。他を見おろす高さにある皆さんなのですから、ここは誇り高く、紳士淑女になってください。

 

 どうか、お箸をきれいに使ってください。どうか、食べるとき、テーブルに肘をつかないで。そして、どうか、他者ときちんとご挨拶のできる紳士淑女になってください。

 

 こんなエールを私から送られても余計なお世話でしょう。でも、何大学だとか何屋さんだとかいう以前に、社会で生活する人として当然の嗜みを、東大卒や東大生なら、優雅に心得ていてほしい。「さすがは東大」と周囲から感心される。それこそが東大生のプライドだと祈っております。

 

姫野カオルコさん(作家) (写真提供:文藝春秋)

 

【姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク関連記事】

「姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』ブックトーク」レポート ~「モヤモヤ」とともにを振り返る~

【著者に聞く】井上彰准教授 正しさ保証する「宇宙的平等」

$
0
0

正義・平等・責任―平等主義的正義論の新たなる展開

井上彰著、岩波書店、税込み5184円

 

 

 我々は「平等」という言葉を聞くと、それが指すものをわきまえずに正しいと思いがちだ。しかし、そもそも「平等」とは何か。井上彰准教授(総合文化研究科)が長年抱いてきたこの問題意識が、本書『正義・平等・責任―平等主義的正義論の新たなる展開』(岩波書店)に結実した。

 

井上彰(いのうえ・あきら)准教授(総合文化研究科)
2005年総合文化研究科博士課程修了。2006年オーストラリア国立大学大学院博士課程修了。Ph.D.(Philosophy)。立命館大学准教授などを経て、2017年より現職。

 

 本書は題名の通り「平等」を「正義」と「責任」という二つの概念と共に捉えるものだが、従来からこれら三つの概念は不可分なものとして扱われてきたと井上准教授は述べる。例えば「正義」とは、ギャンブルで失敗した人が他の人よりも貧しくなるといった、当人に「責任」のある不平等は容認する一方、生まれつきの障害など個人にはどうすることもできない運の影響を極力排除する形で「平等」を目指すことだと考える人がいる。だがこの考え方は「責任」という概念の、実際には帰属先やその有無を単純には捉えられないという複雑な側面を無視し、不当な格差を広げるという「正義」本来の目的に反する結果を生み出してしまう。

 

 このアポリア(難問)の解決にあたり、井上准教授は本書において三つの概念を次のように関係付ける。「責任」は個人が充全に与えられた情報を基に合理的に判断する能力を有する限りにおいて問われる。「正義」とは「責任」の度合いで不平等を認めるか否かを判断するものであるが、皆が受け入れるべき人間社会の一般的な事実によって形成される世俗的な価値だ。対して「平等」は俗世間を超越した、人間の価値観に左右されない宇宙的な価値であり、人間が滅んでも存在し続ける。この宇宙的価値こそが、我々に「平等」を正しいものだと思わせる理由なのだと井上准教授は主張する。不平等は「責任」が問われる状況が明確化されることで適切に是正されるが、それでも是正されない不当な格差は最終的に宇宙的価値としての「平等」を通じて否定される。こうして平等論が持つアポリアは克服されるのだ。

 

 だが本書が「平等」を我々が滅びても存続する価値とすることに対しては、書評や学会で多くの批判が寄せられたと井上准教授は言う。特に、価値付ける主体なしに価値は存在しないのではという批判を多く受けた、と。だが井上准教授いわく「価値はあくまで我々のための価値である、という考えは傲慢(ごうまん)だ」。人間にとって善いものは善いという考えが環境破壊を促進したという反省の下、近年では地球それ自体に価値があるのだとする思想が脚光を浴びていることから分かるように「我々は人間中心主義的な倫理観を見直さねばならない」。

 

 

 本書の議論は現実問題を論ずるにあたっても参照されるべきだろう。例えば、近頃世間で話題の医学部入試における男女差別の問題。男女差別的な入試基準に関する充全な情報を与えられていない女子受験生には、不合格の「責任」はないと見て良いだろう。また、男女の学習能力に有意な差があることは、科学的に裏付けられていない。以上を踏まえると、女子受験生が被っている不当な格差は、宇宙的価値としての「平等」からの要請により是正されねばならない。

 

 この議論に関しては、私立大学は国立大学と異なり、独自の選考基準で学生を選んでも良いのではという意見も見られる。しかし「正義」が人間社会の一般的な事実に依拠することを忘れてはならない。学生を恣意(しい)的に選ぶことは、大学は人々に開かれている学問の場であるが故に公的な助成金を得ている、ということに抵触する。よって、その事実に基づくかたちでの人々の期待形成に反する恣意的な選考は「正義」に反するのだ。大学とはそうした公共性をもつ教育の場であり、寄付金を理由に合格させる「レガシー入学」のように資本主義の論理に飲まれてはならないと井上准教授は考える。

 

 現代社会には、医学部入試の問題や生活保護受給者に対するバッシングを引き起こす「自己責任論」など、「責任」や「平等」の概念が厳密に捉えられてこなかったが故に浮上する問題が多く見られる。そうした問題に直面した際、「責任とは何か」「平等とは何か」という根本的な問題に立ち返ることの重要性を、本書は我々に向けて強く示しているのだ。(円光門)

 「著者に聞く」では、本の著者に取材して執筆の背景や著作に込めた思いを掘り下げます。


この記事は、2019年1月29日号に掲載した記事の転載です。本紙では、他にもオリジナルの記事を掲載しています。

ニュース:基金・受託研究で財源多様化 東大の経営体制の全貌
ニュース:東大でセンター試験実施 7354人が受験
ニュース:大卒予定者就職内定率が過去最高87・9%に
ニュース:アメフトオールスター戦 楊主将らが参加 東大含むチームは完敗
ニュース:日本学士院学術奨励賞 宇研・大内准教授と理・合田教授に
企画:身近なネコの意外な素顔
企画:筋肉は裏切らない! 目的意識が継続のカギ 東大卒「筋肉弁護士」に直撃
ミネルヴァの梟ー平成と私ー:⑨東日本大震災❶
研究室散歩:@ケミカルバイオロジー 菅裕明教授(理学系研究科)
著者に聞く:『正義・平等・責任ーー平等主義的正義論の新たなる展開』 井上彰准教授(総合文化研究科)
東大CINEMA:喜望峰の風に乗せて
キャンパスガール:坂田柚子香さん(農・3年)
※新聞の購読については、こちらのページへどうぞ。

「みんなで筋肉体操」出演東大卒弁護士に聞く 筋肉は裏切らない!

$
0
0

 昨年8月と今年1月にNHKで放送された番組「みんなで筋肉体操」。筋骨隆々な男性が黙々と筋トレをする絵面が話題になり、決めぜりふ「筋肉は裏切らない」はユーキャン新語・流行語大賞にノミネート。出演者は紅白歌合戦にも登場するなど話題の番組だ。出演者で東大出身の弁護士・小林航太さんに、効果的な筋トレの方法などについて話を聞いた。

(取材・武井風花、撮影・田辺達也)

 

格好つけず地道に

──それにしてもすごい筋肉ですね。普段はどのように筋トレしていますか

 時間があればいつも筋トレをしています。具体的には、週5〜6回体の部位を胸、背中、肩、足、腕の五つに分け「今日は腕の日」などと決め、1時間半から2時間かけてジムで徹底的に追い込みます。

 

 

──初心者向けの筋トレ方法を教えてください

 「みんなで筋肉体操」(図)を見て、5分間集中して一緒にトレーニングするといいです(編集注・番組公式サイトで動画が無料公開されている)。効果があるように科学的に考えられてメニューが組まれているので、僕らみたいなある程度筋肉が付いている人がやっても結構つらいんですよ。もっと鍛えたいと思ったらジムに行きましょう。

 

──効果的に筋肉を付けるために注意すべきことは

 まずは正しい方法で筋トレすることですね。トレーナーに指導してもらったほうが自己流より早く効果が出ます。加えて、使おうとしている筋肉を意識することも効果があります。「今ここの筋肉を動かしているな」と意識しながら負荷をかけるといいです。

 

 食事については、1日に150〜180グラムのタンパク質を摂取するようにしています。体重1㌔当たり2〜2・5グラム摂取すると筋肉の成長にいいので。基本的に食事で摂取できる量なので、粉末のプロテインの摂取はそこまで意識していません。それとお酒は筋肉を分解してしまうので、飲酒は最小限にしています。

 

──体を壊さないように注意すべきことは

 これは男性にありがちなんですが、格好つけて重いものを持ち上げようとしないことです。ベンチプレスで1回しか上げられない重量で鍛えたところで、筋肉を痛めるだけです。僕も過去に重い重量でトレーニングし過ぎて左肩を痛めてしまい、今でも引きずっています。

 

──筋トレを飽きずに継続させるにはどうすればいいでしょうか

 

 目的意識を持つことです。夏までに腹筋をバキバキにして海に行くとか、何でもいいので、具体的な目標を決めて、それに向けて努力する。目標も無く漫然と筋トレしてもなかなか続きません。目標に向けて努力するうちに目に見えて体が変化すると、筋トレ自体が楽しくなってきます。それまで継続して努力できるかが勝負ですね。

 

成金ならぬ「成筋」

 

(8月27 日の放送内容を基に東京大学新聞社が要約)

 

──「みんなで筋肉体操」出演に至った経緯を教えてください

 もともと筋肉を生かしたコスプレーヤーとして活動していて、僕のツイッターを見たNHKのプロデューサーさんから依頼が来て出演することになりました。番組では一言も発さず真顔で筋トレをしていますが、出演者はみんな仲良しです。筋トレを続けてきた人って、根が真面目なんですよ。お互いに共鳴するところがあって、話しやすいからかな。それにしても、深夜の5分番組の出演をきっかけに紅白歌合戦に出演するなんて、展開の早さにまだ理解が追い付いていないです(笑)。

 

──「筋肉は裏切らない」と感じた瞬間はありますか

 まさに今がそうですよね。筋トレを続けてきたからこそ、今のよく分からないけど楽しい状況がある。なぜか紅白歌合戦にまで出演できて、まさに「成金」ならぬ「成筋」ですね。

 

──逆に、筋肉に裏切られた経験はないのでしょうか

 自分の方が裏切ってばかりです。年末の忘年会シーズンは、飲酒が多めだったり、食事が不規則になったりしてしまったので筋肉に申し訳なかったです。絶対裏切らないけど手のかかる奴ですからね、筋肉は。

 

──今後の目標を教えてください

 日本人って、マッチョに対する抵抗があると思うんです。海外では筋肉が大きい人は憧れの対象になるけど、日本ではもの珍しがられる。女性が言う「細マッチョ」って、ガリガリじゃないですか。もっと筋トレを広めて、マッチョの人気を向上させたいですね。

 

 加えて、昨年はタンクトップで紅白に出たので、今年は法廷に進出したい。法廷は服装自由なので、タンクトップが駄目な理由はありません。ということで、2019年はタンクトップで法廷に出ます!

 

「みんなで筋肉体操」を続ければ、いつかこんな筋肉が付くかも?

 

筋肉弁護士の原点は? コスプレの完成度上げたくて

──学生時代はどのような生活を送っていましたか

 あまり真面目な学生ではなかったです。将来の進路について考えていなかったので、自主留年を繰り返し4年生を3回経験しました。課外活動では文芸サークル「新月お茶の会」に入り、冊子を作って五月祭などで売ったり、アニメキャラのコスプレをしたりしていました。要するにオタク活動ですね。その時は実は筋トレはしていませんでした。

 

──筋トレとの出会いは

 好きなキャラクターのコスプレをするにはもう少し筋肉が必要だなと思ったのがきっかけです。ロースクールの入試に合格して入学する直前くらいに筋トレを始めました。筋肉が目に見えて付いてきて、筋トレを継続すること自体が楽しくなり今に至ります。

 

──現在の仕事を教えてください

 弁護士事務所に勤務し、相続や不動産関連の案件を中心に常時40〜50件抱え、処理しています。それでも退社後などに筋トレして今日も取材後はジムに行く予定です。「みんなで筋肉体操」の自己紹介にも、弁護士らしく「筋トレ権を憲法で規定すべき」と書きましたが、これはちょっと滑ったかも(笑)。「筋トレ権は第13条の幸福追求権に含まれるはず」など、突っ込みどころが多いし、少し恥ずかしいですね(笑)。

 

小林航太さん(弁護士)

就職を控える東大生へ レールから外れてみる勇気を

$
0
0

 インターネットが浸透した現代、AI技術は社会に大きな影響を与える。そんな時代におけるキャリアの選び方や、求められる学生像とは何だろうか。情報システムの構築・維持を請け負う日本ビジネスシステムズ(JBS)の三浦剛志執行役員と、AI技術に特化したインキュベーション(起業支援)事業を手掛けるDEEPCOREの仁木勝雅代表取締役社長に対談してもらった。(以下敬称略)

 

 

学生と社会との接点重要性明らかに

 

──まずは、お二人の普段の活動についてお聞かせください

三浦 JBSはいわゆるシステムインテグレーターです。マイクロソフトなどのサービスを、日本の銀行や商社など大手法人に導入してIT活用を進めています。私自身はメーカーとの年間事業計画の策定に携わる他、経営企画の責任者として、グループ全体の経営方針の策定も行っています。

 

仁木 DEEPCOREの事業責任者として、インキュベーション施設KERNEL HONGO(以下KERNEL)の運営と、ベンチャーキャピタルファンドの運営を行っています。KERNELでは技術者たちを起業家に育成する取り組みを、ファンドではAI技術を用いるスタートアップを中心として、海外ベースの企業4社を含めた13社に投資をしています。この二つの活動を通じて、AI、特にディープラーニング領域の起業家の支援・育成を目指しています。

 

KERNEL HONGOのラウンジ。開放感に満ちあふれている(写真はDEEPCORE提供)

 

三浦 JBSとDEEPCOREの関係としては、DEEPCOREのファンドにJBSが出資しています。同じITに携わりつつも、かたや大手企業相手、かたや学生や若い起業家相手と全く違う角度で仕事をしており、普通に仕事をしていれば接点はありませんでした。だからこそ、あえて両方に関わりながら、これからの関係性を発展させていけば面白くなるのではないかと考えています。

 

仁木 学生の場合、企業がどのような視点を持って動いているか、企業が実際にどのような課題を抱えているか、どうしても見えにくいと思います。将来的には、JBSをはじめ関係先の企業側の視点を学生メンバーたちに伝えていきたいと考えています。

 

三浦 学生時代の友人には大学の教授となった人も多いのですが、その中の一人が、研究の社会的意義や目的を考えずに研究している学生が増えていることを嘆いていました。そんな現状だからこそ、仁木さんが言うような、学生と社会との接点を作ることには大いに意義があると思いますし、協力していきたいと思っています。

 

仁木 勝雅(にき・かつまさ)さん
(株式会社ディープコア 代表取締役社長)
 2016年まで、ソフトバンクグループの投資部門責任者として、国内外のさまざまなステージの投資案件を担当。ボーダフォン日本法人やSprintなどの大型M&Aや、海外のテクノロジー企業やスタートアップへの出資に携わり、国内外の企業において取締役を務める。また国内外の複数のVC(ベンチャーキャピタル、主にベンチャー企業への出資を行う)で投資委員を歴任。現在、AI特化型インキュベーター兼VCであるDEEPCOREの代表取締役社長として、スタートアップ支援を行っている。

 

──そもそも、AI技術は社会にどのような影響を与えるのでしょうか

三浦 これまで社会の枠組みを決めるのは法律、経済だという風潮がありました。しかし最近では社会の枠組みを下支えするITの役割が大きくなりつつあります。現金決済が多いといわれる日本でも、実際にやり取りされるお金はほとんどがシステム上の仮想のお金です。法律や金銭に代わってITそのものが社会の基盤となりつつある時代となる中で、AI技術も新たに社会の基盤を構成する要素になっていくと思います。

 

仁木 DEEPCOREの技術顧問である松尾豊特任准教授(工学系研究科)は、インターネットが社会を裏から支え、生活の基盤となる汎用(はんよう)目的技術となったように、AI技術も人々の生活になくてはならないものになるだろうと言っています。

 

三浦 インターネットやスマートフォンがまだなかった時代や、それらが登場した時の衝撃をよく知らない今の学生世代と、自分たち世代との考え方の違いは本当に大きいですね。

 

仁木 CtoCビジネス(インターネットを介して消費者同士が取り引きをする)の台頭は、インターネットとスマートフォン抜きでは想像もできませんからね。

 

技術を生かした起業も社会貢献につながる

 

──ではKERNELから社会に、どのような影響を与えたいと考えていますか

仁木 日本の起業家を増やしたいと考えています。日本でも昔から起業家はいましたが、数は十分増えていません。マイクロソフトやグーグル、アップルなど技術者が起業して成功した例が海外には多くあるのに、日本では近年、技術者が起業という道を選ぶことはほとんどありません。こうした現状を変えたいと考えていますが、起業を呼び掛けるだけでは社会は変わりません。そのため、技術を使って社会でイノベーションを起こしたいという思いを持った人たちを起業家に育成するコミュニティとして、KERNELを創りました。

 

三浦 私が就活をしたのは1991年でしたが、当時、進路を考えたときに起業という選択肢は基本的にありませんでした。私が卒業した工学部電気電子工学科の就職先を見ると、2014年ごろまで、大手電機メーカーや通信会社など、自分が就職した頃と変わらない顔ぶれが並んでいました。しかし、最近ではヤフーやグリーなどに加え、自分が名前も知らないようなベンチャー企業も就職先として出てきています。これからは進路の選択肢として起業を選ぶ人も増えていくのではないでしょうか。

 

仁木 将来の選択肢の一つとして、起業があってもいいですよね。企業に入ってもやりたいことをやれるとは限りません。自分がやりたいことをやろうとした結果「消極的に」起業という道を選択した人も何人かKERNELにいます。彼らは「何が何でも起業」と言って起業する人たちとは対照的な存在ですが、自分でいろいろな選択肢を比較して選ぶなら、それも一つなのではないかと思います。

 

三浦 ノブレス・オブリージュじゃないけど、社会的、能力的に恵まれている東大生は、自らの能力を社会に還元していく意識が必要だと思います。社会貢献の選択肢としては、昔は官僚が有力でしたが、今は起業しても社会に大きな影響を与えられる時代になったので、道は一つじゃないと思います。

 

三浦 剛志(みうら・たけし)さん
(日本ビジネスシステムズ株式会社 執行役員)
 伊藤忠商事宇宙情報部門に入社後、国際デジタル通信、Cable&Wireless IDCでサービス企画や経営管理に従事。改称したソフトバンクIDC(現IDCフロンティア)時代には取締役を務めた。ソフトバンクグループのAboveNet Japan(データセンターサービス)代表取締役社長を経て、現在は日本ビジネスシステムズの執行役員を務める他、DEEPCOREのAdvisorも務める。

 

──本郷を拠点に選んだ理由は何でしょうか

仁木 オンラインでオフィスを作ることも可能ですが、やはり現実世界に集まる場所がないと化学反応が起こらないと考え、優秀な人材が集まりやすい本郷を選びました。日本にスタートアップを増やしたい、という思いが根底にあるため、KERNELを本郷だけにとどめるつもりはなく、技術系の人材が豊富で起業の後押しをできそうな場所であればオフィスを展開するつもりでいます。

 

三浦 東大は学部の種類が多く、多様性が確保できているのがいいですよね。

 

仁木 KERNELにも東大の学生が多く参加してくれていて、東大の10学部中、9学部の学生が所属しています。一つの道に縛られず早めに変化の体験を──学生に期待することは何かありますか

 

三浦 人と違うことをするのを恐れないでほしいですね。東大生は基本的にプライドが高く、本質的に一人で取り組むものである勉強に励んできたため、協調性に欠ける人が多いと思っています。自分も含めて(笑)。

 だからこそ、チームワークが求められる大手企業にこだわることなく、自分の性質を理解して生かしていくことが必要なのではないでしょうか。ベンチャーを支援していた濱田純一前総長がホームカミングデーに主催した、起業家を集めたパネルディスカッションで、ある登壇者が「東大生は失敗しても食いっぱぐれることはないので、リスクを取らない手はない」と言っていたのが印象的でした。

 

仁木 私は一つのキャリアにとらわれてほしくないと思っています。どのような道を選んだとしても、自分の選んだ道に縛られる必要はありません。三浦さんの意見とは違うのですが、自分が周りと違うからこそ、周りの人を理解し、歩調を合わせることが大事だと思っています。

 

三浦 私が東大に入った1987年は、東大と京都大学の入試が別の日に行われたため、例年以上に関西から学生が集まり、大学の多様性が確保されていました。しかし、現在は主に関東の中高一貫の男子校出身者が多くを占める、画一的な空間となりつつあります。これまで乗ってきたレールから外れることを恐れないでほしいですね。

 

仁木 KERNELにはAIエンジニアやさまざまな専門領域を持つメンバーが多く、多様なバックグラウンドを持つ社会人や学生の交流の場となっています。中には、一度休学して、やりたいことを追及した経験を持つメンバーもいますね。

 

 

──では最後に、レールから外れることを恐れる学生にメッセージをお願いします

 

三浦 若いうちに変化を体験しておかないと、将来変化を恐れるようになってしまいます。早い段階でいろいろな変化を体験しておくのが大事ではないでしょうか。

 

仁木 海外に行けば、全く違うメンタリティーで行動する人々を見ることができます。そういう意味では海外に出るだけでも大きな経験かもしれません。KERNELも多様な人々との交流の場という機能を果たしていきたいです。

 

(取材・中井健太、撮影・小田泰成)

【日本というキャンパスで⑦】日常生活にあふれる日中の違い

$
0
0

 記者が東大に入学して4年が過ぎた。主に学校生活・食生活・社会面から日本での生活を振り返る。

 

 記者は日本に来る前に、日本語を母語としない人向けの日本語能力試験の最上級であるN1を取り自信満々だったが、最初のゼミに参加した時に衝撃を受けた。日本語の一般的な文章を読める能力から専門用語のあふれる学術的な文章を自然に書ける水準に至るまでの巨大な格差を認識し、その隔たりを埋めるため、文章の論理性向上に努める日々だった。

 

 ゼミでの議論を通して、自分と異なる意見を受け止める寛大な心も持てるようになった。自分の意見に反論が存在するのは、確固たる根拠がなかったり、分かりやすさにもう一工夫が必要だったりするのではないかなど、反省する習慣が付いた。議論はあくまでもより客観的な結論に導く手段の一つだ。

 

 また、東京大学新聞社で発行される毎回の新聞は、各面各部分の担当者による合成力があってからこそ、でき上がったものだと実感した。チーム力の結晶という感動や自分の考え方をより多くの読者と分かち合える達成感が常に湧いている。加えて、2018年は東京大学中国茶同好会の駒場祭運営メンバーの一人として関わり、周りの日本人の仲間による中国茶の知識への追求精神に感銘を受けた。彼らのおかげで、中国茶は製造方法や発酵度合いで黒茶や黄茶、白茶など大きく6種類に分かれることを知ることができた。

 

18年駒場祭にて、中国茶同好会の代表である磯さん(右)との記念写真

 

 食生活に関しては、朝食の飲み物を例にとると、日本はみそ汁が中心で、中国は地域によって異なるものの、豆乳・スープ(チキンスープなど)・おかゆ(青物・かぼちゃ・あわ・ピータン豚肉)が中心だ。来日まで生魚は食べたことがなく、中国では煮込み魚が一般的だった。

 

 社会面では、正直日本に来る前は自分がうるさいという自覚は全くなく、明るい自分だと認識していた。日本で中国人の友達にたびたび注意されたのを契機に考えたところ「うるさい」と「明るい」の間にある明確な一線への認識が欠如していて、公共の場への意識が弱かったと感じた。一方で「堂々と話すべき」という中国の学校教育上の理念は話す声の大きさに一定の影響を及ぼしていると思う。堂々と話すことに慣れている記者は自らの話に夢中になった結果、音量へのコントロールを忘れてしまうのではないかと思う。

 

 「郷に入れば郷に従え」と指摘されても、慣れるまでかなりの過程が必要だ。隣国であるがゆえに、お互いの文化・風習に関する知識をより増やしておく必要があると考える。 


この記事は、2019年2月5日号に掲載した記事の転載です。本紙では、他にもオリジナルの記事を掲載しています。

インタビュー:「寄り道」が人生を豊かにする 東大卒・下着会社社長の履歴書 枡野恵也さん
ニュース:医学部附属病院で事故調査
ニュース:度會さんグランプリに ミス日本 髙橋さん「海の日」受賞
ニュース:がん誘発の難病、原因を特定 治療薬開発の期待高まる
ニュース:ヒトの向社会性 発達の仕組み解明
ニュース:アプリ開発 目が不自由でも服選び楽しめる
企画:知識と行動で「護身」を 理不尽な選考方法、どう対応
企画:紙上OB・OG訪問
企画:働き手不足を救え 地方圏で就職する魅力とは
企画:学生に戻るという進み方 就職後の大学院進学という選択肢
広告企画:就職を控える東大生へ レールから外れてみる勇気を
100行で名著:『大局観 自分と闘って負けない心』羽生善治著
取材こぼれ話:児玉さんの学生時代
日本というキャンパスで:劉妍(農学生命科学・博士2年)⑦
キャンパスガール:坂本侑紀さん(理学系・修士1年)

※新聞の購読については、こちらのページへどうぞ。


【受験生応援2019】現役東大生が語る!受験当日のメンタルトレーニング法・リラックス法

$
0
0

 受験生の皆さん、勉強お疲れ様です。2次試験まで残り2週間に迫った今日は、現役東大生が受験生時代に実践していたメンタルトレーニング法・リラックス法を紹介します。

 

試験1週間前から〜前日

 

・散歩、よく寝る。

 

・勉強を途中でやめてでも睡眠時間は確保するようにした。

 

・暗記事項で抜けているものがないか精査する。「これで最低限ケアレスミスは防げるな」と思うと、気休めになった。

 

・不得意な分野を自覚しつつも、「もしかしたら試験で失敗するかもしれない」という心理状態に陥らないように、「一つ一つしっかりポイントを押さえれば本番でも大丈夫だ」と自分に言い聞かせた。学校の友人と雑談したり、1日の勉強を終えたところで自分へのご褒美のような気分で好きな音楽を聞いたりしてリラックスした。

 

・解けない問題は、他の人も解けないと開き直った。解説を読んで理解できれば十分だと思って勉強に取り組むべき。試験直前には、とにかく自分に都合よく物事を考えていくのが良いと思う。

 

・お風呂の湯船に、合格祈念の桜の香りのバブを入れて、よく眠れるようにしっかりと温まるようにしていた。前日は緊張で眠れないだろうと分かっていたので、少しでも落ち着いておこうと、夕飯・入浴あたりから受験のことを一切頭から追いやって、普段通りを意識した。

 

 睡眠時間を確保したり散歩や音楽、入浴といったさまざまな方法で気分転換を図ったりした人が多いようです。

 

試験直前にできること

 

・心を無にする。

 

・深呼吸をした。「もうできることは全てやった、試験官をうならせるような答案を書こう」と無理やり意気込んでいた。

 

・下手に参考書などを見るのをやめた。トイレに行ったり散歩をしたりした。

 

・メンタルトレーニングとしては、自分がノートにまとめたポイントや解法を確認することで安心感を作り出した一方で「もうここまで来たら仕方がないな」という諦めに近い悟りで心を落ち着けた。リラックスとしては、緊張で冷えた手を膝に当てて温めたり、チョコレートやお茶といった好きなものを口に入れたりしていた。

 

・今更不安になっても点数が上がるわけではないと自分に言い聞かせた。時間配分がうまくいった時の流れを思い出し、シミュレーションをした。少しでも頭がよく回転するように、脳の栄養のチョコレートを直前に食べたり、試験と試験の間にはとにかく明るくテンポの良い曲を聞いて、気持ちを明るくしたりしていた。

 

・開始時刻前の空白時間に瞑想をすることは、普段の勉強からお勧め。机のシミなどの一点をぼんやりと見つめて、ゆっくりと呼吸しながらその呼吸を数えていれば、雑念なく試験に臨める。

 

 試験前に気落ちしないよう明るくテンポの良い曲を聞いたり、深呼吸や自分に言い聞かせることで落ち着かせたりした人が多いようです。

 

試験中にできること

 

・詰まったら一回寝る。

 

・深呼吸をした。難しい問題が出た時は「俺が解けないんだから他のやつも解けない」と思い乗り切った。個人的には手汗をかきやすいので、膝の上にタオルを置いて適宜汗をぬぐって気休めをしていた。

 

・思考が行き詰まった時は、まず慌てず、「解ける問題から解いていこう」とか、「分かるところまで解答に起こそう」と気持ちを立て直していた。逆に、調子良く解ける時は、自分に余計な期待を持たず平常心を保ち、目の前の問題に集中することを意識していた。

 

・たまに顔を上げて、試験監督の顔や窓の外のように不審に思われない遠くの位置を見る。

 

・緊張してパニックになると、問題用紙に顔を近づけすぎて周りが見えなくなる傾向があったので、焦っていて前かがみになりすぎていたら、一度姿勢を戻して深呼吸するようにしていた。東大の試験は、大問の数が多く時間配分が大切なので、焦ったときは残りの時間と問題数を数えて、時間配分が上手くいくことを確認して、落ち着くことにしていた。

 

・煮詰まったときには大胆に問題を捨ててしまうことは意外と効果があると思う。中途半端にこだわって他の解ける問題を落とすのはもったいない。大胆に問題を捨てれば気持ちがリセットされ、他の問題に新しい気持ちで臨め、後から元の問題を解く時間を取れる可能性がある。

 

 緊張やパニックに陥ったら深呼吸をした人が多いようです。分からない部分が出てきたら一度飛ばしたり開き直ったりするのは効果的かもしれません。

 

 いかがだったでしょうか。これまでいくら知識を定着させていても、試験中に力を十分発揮できなかったら元も子もありません。試験中に100%の力を出せるよう、ぜひ実践してみてください!

学生に戻るという進み方 就職後の大学院進学

$
0
0

 学部生にとって、就職して実社会に飛び出すのか大学院に進学するのかは重大な選択だ。しかし、教育を受けてから就職してそのまま定年まで働くだけが人生ではない。一度は民間企業に就職したが後に東大の大学院に入学した2人の学生に取材し、どのようにして進路を決めていったのかを聞いた。

(取材・上田朔、撮影・小田泰成)

 

科学と社会をつなぐ

 

五十嵐 美樹さん(学祭情報学部・修士1年)
 株式会社東芝、エルピクセル株式会社を経て、2018年現課程に入学。女子を対象に理科教育などを実践する個人・団体を表彰する日産財団「第1回リカジョ賞」準グランプリ。

 

 五十嵐美樹さんの一貫した目標は「科学と社会をつなぐ」こと。きっかけは中学校で行われた虹を作る実験だった。「科学が意外と身近なところにあることに感動しました」。上智大学では物理から機械工学まで幅広く学ぶ理工学部機能創造理工学科に入学。ものづくりを通じて科学技術を社会に役立てることに魅力を感じ、学部卒業後は(株)東芝に就職。エンジニアとして交通管制システムを管理した。

 

 この頃から五十嵐さんは小学生向けの科学実験教室を始める。「科学に触れる機会のない子供に科学の面白さを伝えることで、今までの学びを社会に還元しようと思いました」。しかし、科学実験教室を全国で続けるうちに「技術の知識はあっても、全国の科学館と交渉して実験教室を企画するためのビジネスの知識がない」ことに気付いた。

 

 入社した当初は「この会社で一生働く」つもりだった五十嵐さん。しかし、周りを見てみると「その時々の自分の興味に応じてキャリアは自由に変えていい」という人が多かったという。五十嵐さんはビジネスを学ぶため東大発ベンチャー企業エルピクセル(株)の経営企画部に転職した。「やりたいことは常に変わり続けるものだから、特定の職業に自分を縛らないようにしています」

 

 転職後も週末の実験教室は続き、活動が広がるにつれて実験教室と仕事の両立は難しくなっていった。エルピクセルに愛着が強く、退社前には大いに悩んだが「最後は自分の直感を信じて決断しました」と五十嵐さん。「頭で考えるよりも、直感で決めた方が後悔がない」と話す。

 

 独立後、科学を一般の人々に伝えるための方法論などを研究する「科学コミュニケーション」という学問領域に出会った。「自分の活動がまさに科学コミュニケーションだと気付いた時、実践だけでなく学術的にも学びたいと思いました」。現在五十嵐さんは実験教室の運営の傍ら学際情報学府の修士課程に在籍し、科学コミュニケーションを専攻している。

 

 科学コミュニケーションの研究は実験教室の企画にも変化をもたらした。「大学院に入るまでは実験教室を開いても、相手に科学の面白さが伝わったかどうか考えられていなかった」と振り返る五十嵐さん。「科学的な正しさに気を配りながらも、聞き手の関心をいかに引きつけるかを意識するようになりました」

 

 一方でビジネスの考え方が学術の世界では通用しないことに驚いたと話す。「学術では一歩一歩検証を積み重ねることが重視され、ビジネスのように目的に向かって一直線には進んでいかないことに最初はもどかしさを感じました」。学業と科学実験教室の企画実施を両立することも並大抵の苦労ではない。しかし「全て自分のやりたいことなので、今はとても幸せです」と語った。

 

 

自分の価値観明確に

 

辻 和洋さん(立教大学大学院経営学研究科博士課程1年)
 読売新聞社、産業能率大学総合研究所を経て学際情報学府修士課程に入学、2018年より現課程。オンラインメディア「スタディ通信」編集長、武蔵野大学グローバル学部非常勤講師も務める。

 

 辻和洋さんは読売新聞社に就職するも退職後、再び東大の修士課程に入学した異色の経歴の持ち主。現在は立教大学で博士課程に在籍する傍ら、ウェブメディア「スタディ通信」の編集長などを務める。

 

 学部卒業時から「物事を探究したい」気持ちが強く大学院進学を検討したが経済的事情がこれを阻んだ。「親にこれ以上迷惑をかけながら進学するのか」悩んだという。結局「いろいろな人に話を聞きながら社会の事実を探求する新聞記者の仕事は研究者に近い」と考え、新聞社に就職した。

 

 入社後は事件・事故、教育問題からスポーツ、経済、選挙まで幅広い記事を執筆。しかし、編集業務は多忙を極め「一つのことを深く掘り下げるような記事をあまり書けなかった」とこぼす。同時に、職場の人材育成法への問題意識も生じていた。「新聞社の職場では『できるやつは勝手に伸びる』という雰囲気があり、人材を育成する体系的な仕組みが導入されていませんでした」。辻さんは新聞社を退社し「迷ったらGo」の精神で、組織マネジメント・人材育成の歴史ある研究機関である産業能率大学総合研究所の職員に転職。「どうにかあの現場を救いたい」という実体験に基づく問題意識は辻さんの研究の原動力となった。

 

 産業能率大学総合研究所では経営学の知見を用いて企画立案された教材が、教育工学に基づいて編集される。「記者の経験のおかげで書く力はあっても、それ以外の専門性が自分にはない」と痛感した辻さんは東大大学院に進学。当時情報学環に所属していた中原淳教授(立教大学)の下で組織の人材育成に関する研究を始めた。

 

 職場の勤務時間は融通が利いたが、仕事と研究の両立は容易でない。仕事の優先順位を明確にし、外部から連絡が入りにくい朝の時間を活用して時間を捻出した。さらに、ビジネスと学術の考え方の違いにも戸惑ったという。最短の時間で成果を出すことが求められるビジネスと異なり、大学では「さまざまな研究者から批判を浴び、蛇行しながら時間をかけて洗練させていく」という考え方に頭を切り替える必要があった。

 

 一方、社会人の経験は決して無駄にはなっていない。「記者として多くの人に取材したことで、研究対象者に対する物おじがなくなったことは研究をする上で役立った」。さらに「締め切りまでに必ず成果を出すという、やり切る力が培われた」と辻さんは語る。

 

 現在の研究室は「研究について本気で話し、助け合える仲間のいる日本一の研究室」と満足度が高い。進路を決める上で重要なのは「自分の価値観」を明確化することだと話す。「現代は価値観が多様化した時代。企業で働き続けることに幸せを感じる人もいれば、私のように何かを探究することに幸せを感じる人もいる。自分の幸せの定義を決めることが大切」と語った。


この記事は、2019年2月5日号に掲載した記事の転載です。本紙では、他にもオリジナルの記事を掲載しています。

インタビュー:「寄り道」が人生を豊かにする 東大卒・下着会社社長の履歴書 枡野恵也さん
ニュース:医学部附属病院で事故調査
ニュース:度會さんグランプリに ミス日本 髙橋さん「海の日」受賞
ニュース:がん誘発の難病、原因を特定 治療薬開発の期待高まる
ニュース:ヒトの向社会性 発達の仕組み解明
ニュース:アプリ開発 目が不自由でも服選び楽しめる
企画:知識と行動で「護身」を 理不尽な選考方法、どう対応
企画:紙上OB・OG訪問
企画:働き手不足を救え 地方圏で就職する魅力とは
企画:学生に戻るという進み方 就職後の大学院進学という選択肢
広告企画:就職を控える東大生へ レールから外れてみる勇気を
100行で名著:『大局観 自分と闘って負けない心』羽生善治著
取材こぼれ話:児玉さんの学生時代
日本というキャンパスで:劉妍(農学生命科学・博士2年)⑦
キャンパスガール:坂本侑紀さん(理学系・修士1年)

※新聞の購読については、こちらのページへどうぞ。

東大生なら知っておきたい 50周年を機に振り返る、東大闘争の意義とは

$
0
0

 「大学って、学生の自由が確立されているよね」。そう当たり前に感じている人も多いかもしれない。しかし、東大闘争(東大紛争)が繰り広げられていた50年前には、必ずしもそうとは言えない状況だったことを、ご存知だろうか。

 1月10日に本郷キャンパスで開かれたイベント「〈討論集会〉東大闘争・確認書50年──社会と大学のあり方を問う」では、東大闘争の意義が改めて問われた。それは、50年後の現在を生きる我々今の学生にとっても無縁ではなかった。

(取材・小田泰成)



多くの学生が運動に立ち上がった

 

 まずは、司会を務めた柴田章氏(教養代表団⦅教養学部の学生の代表⦆、以下特記なき限り()内の役職は東大闘争当時のもの)の言葉を交えつつ、東大闘争の主な出来事を簡単に振り返りたい。

 戦後の東大は学生運動の拠点で、東大当局は学生運動を抑え込む姿勢を取ってきた。1960年代後半にはベトナム戦争への世界的反戦運動の影響もあり、大学以外でも市民によるさまざまな運動が大きく盛り上がっていた。

 こうした時代にあって、1968年1月末に医学部の学生・研修医が、研修医制度を巡って教授会と対立し、無期限ストライキを決行。6月15日には一部の医学部生が、大学本部のある安田講堂を占拠した。2日後、警察機動隊が本郷キャンパスに突入。これは東大当局の要請によるもので、衝撃的なものだった。これを受けて6月20日に「圧倒的な学生が立ち上がって」、10学部中8学部でのストライキと1万人規模の決起集会を挙行。この日、東大闘争が始まったとされる。

 

 東大当局の姿勢は硬直化したまま、10月11日には全学部無期限ストライキへ。11月1日の大河内一男総長の引責辞任や、過激な全学共闘会議(全共闘)とその他の学生との施設封鎖を巡る対立など紆余曲折を経て、1969年1月10日の確認書締結に至る。これは大河内総長辞任後、融和的な姿勢を見せた加藤一郎総長代行と、9割以上の学生を代表する七学部代表団との間で交わされたもので「全構成員による新しい大学自治の在り方が示」された画期的なものだった。成果を得た学生は自主的にストライキを解除。同年2月の入試こそ中止になったが、東大は再建へと向かった。

 

確認書締結を伝える東京大学新聞1969年1月13日号

 

 東大闘争参加者は当時から、考え方も、年齢も、学部も、教職員との関係も多種多様だった。東大を巣立った後に送った人生も十人十色だ。そこで第一部では、さまざまな問題関心を参加者共通のものにするために、3人の集会実行委員が問題提起をした。

 

強調された暴力的側面

 

 最初に登壇した弁護士の川人博さん(教養代表団)は、体調不良を感じさせない熱弁をふるった。東大闘争と、同時期にアメリカなどでも起こった学生運動を比較。東大闘争は特に参加学生の数が多く、大学当局との書面での合意までこぎつけている点を評価した。一方、日本では学生間の意見対立が暴力的なレベルまで発展し、それがメディアなどで強調されたことで、学生への世論の批判が高まったことも指摘。「他国では学生運動への肯定的評価が多い。特にドイツでは、学生運動のリーダーだったドゥチュケ氏の名前を冠した通りがあるほどだ」

 

東京大学新聞1968年1月20号では、機動隊の安田講堂突入を大きく伝えている

 

 東大闘争が川人さんに与えた影響は大きい。「大事なときには人々は立ち上がるんだ、と、人権活動に取り組む上での大いなる自信を与えてくれた」。現在川人さんは、前期教養課程で「法と社会と人権ゼミ」という自主ゼミを開講。今では多くの学生が利用しているこの自主ゼミ制度も、実は確認書で学生の自主活動が尊重されたことに起源を持つ。現在の東大やその構成員については「余計なことに手を出すあまり、本来の役割を全うできていないのではないか」と疑義を呈しつつ「今の若者の中には、私たちとは違う視点で新しい社会的活動・学問研究を進めている者も多い」と、前向きにスピーチを終えた。

 

非武装の態度が画期に

 

 続けて滑らかな口調で語りだしたのは、医師の三浦聡雄さん(民主化行動委員会議長)。東大闘争を自らの視点で、全共闘に焦点を絞りつつ振り返った。全共闘は1968年当時「学生の怒りや混乱に乗じて」東大の全学封鎖を志向。元々複数の党派の寄り合い所帯であり、議論で妥協案を出すと「お前、ひよるのか」(日和見的な態度を取ることを指す)と反論されるため、過激な方針が全共闘全体の方針になるのが常だったという。

 

 三浦さんは「全共闘に対抗する組織が必要」と考え、東大民主化行動委員会を立ち上げた。他組織とも連携を強め、1968年11月14日には駒場のバリケード封鎖に反対して非武装で座り込んだ。武装して襲いかかる全共闘を、周りで見ていた学生たちが怒って取り囲む。「互いの身体が密着するとヘルメット、角材は役に立たない。多勢に無勢の全共闘は武装解除されて解散した。その後、全共闘は急激にノンセクト(どの党派にも属さない人・団体)の支持を失い、孤立化が進んだ。東大闘争の局面を決定的に転換する関ヶ原となったのだ」

 

学生同士の衝突を伝える東京大学新聞1968年11月18日号

 

 やがて東大が再建される過程で、三浦さんたちは確認書に沿って、新たな民主的自治会の発足やカリキュラム改革などを進めた。現在は志を持つ仲間と、たとえその人が東大闘争当時の敵だったとしても、協力しているという。最後は医師らしく、参加者の多くを占める高齢者に向けて「体を鍛えておきましょう」とにこやかに呼び掛けた。

 

非暴力姿勢を教師生活に還元

 

 最後に登場した目良誠二郎さん(教育系大学院代表)は40年以上都内の私立中高一貫校で教えた中で、東大闘争の宿題を若い世代と一緒に解いてきたという。それは戦後民主主義と民主主義教育をどう発展させるか、何を何のためにどう学ぶのか、など多岐にわたる。

 

 宿題への答えの代表例が、元勤務校で確立した社会科カリキュラム「総合社会」だ。当時、社会科は、受験戦争の過熱の影響を受け、体系的な学習で事足りる「暗記科目」だと認識されていた。目良さんは、生徒たちが視野を広げ自分の頭で考えられるようになることを目指し、中3で全生徒が卒業論文を書くなど、問題を自ら提起し解決する形の学習を組み込んだ。東大闘争で暴力を目の当たりにした経験から、民主主義教育の精神に基づき、生徒に暴力を振るわない姿勢も貫いた。

 

 目良さんによれば、非暴力という言葉には本来「不服従のグローバル市民としての非暴力」という意味が込められており、日本国憲法9条にも通じるものだという。最近はそうした「非暴力」の運動に参加しているらしく「今も東大闘争の『宿題』を解き続けているのです」と、穏やかな声でスピーチを締めくくった。

 

 第2部ではより多くの参加者の発言が飛び交った。当時の思い出を熱く語る人から、東大闘争と科学技術体制との関係を指摘する人まで、発言内容はさまざま。ただ、東大闘争への思いの強さは、一貫して伝わってきた。今後は当事者たちによるエッセイ集の発刊なども予定されているという。

 

 イベントを通じて明らかになったのは、東大闘争の意義の多様性だろう。ただ現在の東大生との関連で言えば、やはり学生の自由が確立されたことは一つの大きな意義と言える。もちろん50年前と現在を一概に比べることはできないし、今は学生運動をやるような時代でもない。ただ、より良い大学・社会の在り方を目指して行動していた50年前の学生の積極的な姿勢だけは、現在にも通じていることを祈りたい。

ミス日本コンテスト 度會亜衣子さんがグランプリ受賞

$
0
0

 「第51回ミス日本コンテスト2019」が1月21日に行われ、度會亜衣子(わたらい・あいこ)さん(理Ⅲ・2年)が「ミス日本グランプリ」と「ミス日本ミススポーツ」に選ばれた。

 

写真提供:一般社団法人ミス日本協会

 

 度會さんはミス日本グランプリの受賞に「ミス日本のような歴史あるコンテストで、私がグランプリに選んでいただけるとは考えておらず、ただただ驚き、心より光栄に思った」と喜びを語った。ミス日本グランプリ・ミススポーツとしての活動に胸を弾ませながら「任期の終わる1年後には今よりもさらに成長し、経験を医学の道で役立てたい」と決意を新たにした。

 

 ミス日本コンテストは、過去に女優の藤原紀香さんらを輩出した「日本女性の美の最高位」を決める大会。昨年の第50回大会では岡部七子さん(理Ⅱ・1年=当時)が「ミス着物」に輝いた。今年の大会では2354人の応募があり、各地区からファイナリスト13人が選出されていた。

ミス日本コンテスト 髙橋梨子さんが「ミス『海の日』」受賞

$
0
0

 「第51回ミス日本コンテスト2019」が1月21日に行われ、髙橋梨子(たかはし・りこ)さん(理Ⅲ・1年)が「ミス日本『海の日』」に選ばれた。

 

写真提供:一般社団法人ミス日本協会

 

 髙橋さんは「受賞できると思っておらず、名前を呼んでいただいたときもすぐに反応できなかった。ティアラとたすきをいただいて徐々に実感が湧いた」と受賞の瞬間を振り返る。テレビへの生出演など新鮮な日々を過ごす中「今後の活動でどんな出会いや経験が待っているのか早くも楽しみで仕方がない。社会経験を積み、視野を広げ、人間として大きく成長する1年にしたい」と意気込んだ。

 

 ミス日本コンテストは、過去に女優の藤原紀香さんらを輩出した「日本女性の美の最高位」を決める大会。昨年の第50回大会では岡部七子さん(理Ⅱ・1年=当時)が「ミス着物」に輝いた。今年の大会では2354人の応募があり、各地区からファイナリスト13人が選出されていた。

新元号へ「三度目の日本」の創出を 堺屋太一さんインタビュー

$
0
0

 作家の堺屋太一さんが8日、亡くなった。今年1月1日発行号の弊紙では、平成を振り返り次の時代を考えるべく、堺屋さんへのインタビューを掲載していた。堺屋さんのご冥福をお祈りするとともに、インタビューを転載し、改めて堺屋さんの思想を振り返りたい。

 

 「平成」も残すところ3カ月、今年5月には新しい区切りを迎えることになる。新年最初のインタビューは、「団塊の世代」「巨人、大鵬、卵焼き」と数々のキャッチフレーズを打ち出し、官僚として日本をけん引してきた堺屋太一さん。堺屋さんの目に、「平成」が遺したものと日本の未来はどのように映っていたのだろうか。

(取材・田辺達也、撮影・湯澤周平)

 

 

官僚主導が招いた活気なき平成

 

──ずばり、「平成」とはどんな時代だったのでしょう

 「夢ない、欲ない、やる気ない」の「三ない社会」と言えます。バブル期であった昭和末期と比べ、明らかに若者を中心に国民から「意欲」のようなものが失われました。今は「低出産、低起業、低成長」を招き「新しいモノ」が生まれなくなったのです。

 

──堺屋さんは小説『平成三十年』(朝日新聞社)で、執筆当時(1997年ごろ)に予期した数十年後の日本を描きました。出生率や貯蓄率の低下など、細かい数字も含めて多くの描写が現実のものとなりました

 やはり人口減少は何よりも大きな問題です。就職も無難な大企業に潜り込むものになっています。結果招いたのは「安心・安全・清潔・平等・正確」の国、今の日本です。一見プラスのようでも、多様性や意外性が失われては国全体から「楽しみ」がなくなり、息苦しさを増すばかりです。「国民全部を面白がらせる国」を目指すべく、移民の受け入れなどはその観点から大いに進めるべきだと考えます。

 

──こうした事態は、予測できたことでもあるはずです。なぜ放置され続けてしまったのでしょう

 危機感のなさが何よりもまずかった。細かい問題ばかり対処して、根本的な問題に目を向けてこなかったのでしょう。

 

 私は全ての元凶は「官僚主導」にあると思っています。この30年で官僚が目指したこととは、東京一極集中社会の構築・正社員の優遇・持ち家の矮小化・人生設計の硬直化などでしょう。それぞれに長所はあれど、この国から面白みを奪い、多様性を失わせるものばかりです。

 

 そもそも日本の官僚というのは1、2年でポストが変わる。目先の問題にとらわれ、長期的なビジョンが持てないのは当然と言えます。もちろん、国民が彼ら官僚に全てを任せたことにも罪があります。今後国際社会で、敗戦以来政治・経済など全ての面で何一つ構造的な変化がない日本が生き残っていけるか、私には分かりません。

 

──消費税の導入など、経済的な変化も多くみられました

 消費税導入当時、それ自体には賛成していましたが、あまりに細部にこだわり、東京を中心とした制度設計なのはどうしたものでしょう。地方のコンビニエンスストアが消費税を集めても、実際に払うのは東京の本社ですから、税は全て国と東京に流れるわけです。地方の人々が「うちの市に税収を増やそう」と動けるようにした方が良いのではないかと思っています。

 

──堺屋さんから見て、逆にこの30年の変化で予想できなかったこととは何でしょう

 いくらなんでもここまで活気のない国になるとは思わなかったですよ。私は大阪万博(70年)を手掛けた経験がありますが、少し前は曲がりなりにもそんなエネルギーが日本にはあった。『平成三十年』でもカリスマ性ある閣僚が何人か登場しますが、そういう人すら今は出現しません。今後もしばらくは期待できないでしょう。

 

起業精神で探せ日本の可能性

 

──昨年(平成30年)は「明治150年」に当たる年でもありました。そろそろ、大きな変革が見られてもよい頃合いだということですね

 近代に入って以降で日本が大きく変わった瞬間といえば、「強い日本」を作った明治維新、そして「豊かな日本」を作った太平洋戦争後の民主化でしょう。昨年が明治150年だとしたら、終戦の1945年は150年間のちょうど折り返し付近に当たります。今こそ「三度目の日本」を作るときなのではないでしょうか。

 

 新たなエネルギーとして期待しているのは、2025年に開催が予定される大阪万博です。約半世紀前多くの企業の出展を促し、多くの入場者と利益を生み出した前の大阪万博の活気を取り戻し、今後の日本にとって可能性がある分野を見極めてもらいたい。カリスマ性ある指導者の出現も、あり得るかもしれません。

 

──約20年前「平成30年」を予想した堺屋さんは、今度は「新元号20年」をどのように展望していますか

 詳しいことは専門的手法でのシミュレーションを通さないと分かりませんが、人口減少が手の付けられないところまで来ています。東京一極集中の是正にも取り組まなければなりません。私は移民受け入れに大いに賛成します。過去にもかなりの数の外国人を受け入れて同化させた例があります。今後もそれを経て「次世代型日本人」を作らなければならない時代が来ることでしょう。

 

──東大生は、次の時代をどのように生き抜いていく必要がありますか

 とにかく意欲を持ってもらいたい。就職して感じたことや問題意識に沿って新たなチャレンジを続けていく、いわゆる「起業精神」です。LED電球の発明に代表されるように、世界を変える発明は中小企業でもできるのです。

 

 あと、東大生は官僚になる人が多いですが、地方に行くとしたら単身赴任してはいけません(笑)。国を背負う人材が家族とともに過ごさないせいで自分の住む地域の教育水準や世間話が分からない、これでは有効な政策は打てません。東京―地方間格差の是正のためにも、ぜひお願いしますよ。

 

堺屋太一さん(作家)

 60年経済学部卒。通商産業(現・経済産業)省入省後、日本万国博覧会(大阪万博)開催推進などを手掛けた他、経済企画庁長官、先端科学技術研究センター客員教授などを歴任。予測小説の執筆者としても知られる。著書に『団塊の世代』(文春文庫)など。


この記事は、2019年1月1日号に掲載した記事を再編集したものです。本紙では、他にもオリジナルの記事を掲載しています。

 

 

インタビュー:『平成三十年』、そして新元号へ 「三度目の日本」の創出を 堺屋太一さん
インタビュー:変化を求め模索、今も続く 平成を概観する 飯尾潤教授(政策研究大学院大学)
ニュース:ミス日本ファイナリスト 理Ⅲ生2人が進出 「美の最高位」目指す
ニュース:秀吉の刀狩令を復元 当時の材料・製法を再現
企画:インターネット、本当に分かってる?
企画:花札の歴史と魅力 国民性詰まった伝統遊戯
ご挨拶:謹賀新年 読者の皆さまへ
火ようミュージアム:『オープン・スペース 2018 イン・トランジション』
研究室散歩:@数値計算 須田礼仁教授(情報理工学系研究科)
キャンパスガール:住田桃子さん(理Ⅰ・2年)

※新聞の購読については、こちらのページへどうぞ。

18年度東大前期入試 全科類で第1段階選抜 志願者192人減少

$
0
0

 東大は13日、大学入試センター試験の結果に基づく2019年度入学試験(前期日程)第1段階選抜結果を発表した。全科類での第1段階選抜実施は3年連続で、全体の志願者数は9483人で昨年度から192人減少した。2次試験は25~27日(27日は理Ⅲのみ)に行われ、3月10日に合格者が発表される。

 

 

 志願者数は昨年度と比べ、文Ⅰで84人と大幅な増加を見たが、その他全ての科類で減少。特に理Ⅰ、理Ⅱはそれぞれ77人、93人と大幅に減少した。理Ⅲは、予告倍率が4倍から3.5倍に下がった影響もあってか、18年度比で0.46ポイント減の4.18倍。他の科類では大きな変動はなかった。

 

 合格者最低点は、文Ⅰで昨年度比46点増と大きく上昇した他は、プラスマイナス25点程度の上下にとどまった。全体の最低点は文Ⅰの628点、最高点は理Ⅲの888点だった。合格者平均点は、理Ⅰを除く全ての科類で昨年度から増加。特に文Ⅱでは13.28点と大幅な上昇を見せた。合格者平均点が最も低いのは昨年度から引き続き文Ⅰで、最も高いのは昨年度の理Ⅰに代わり理Ⅲとなった。

 

 同日の会見で東大は、文部科学省が公表した入学者選抜実施要項にも言及。要項に追加された解答公表を原則とする方針について、福田裕穂理事・副学長(入試担当)は「学内で議論をしている最中。解答を公表するかどうかは近いうちに発表する」とした。


19年度東大推薦入試 合格者66人に微減 医学部医学科で初めて募集人員の目安超える

$
0
0

 東大は13日、2019年度推薦入試の最終合格者を発表し、全学部・学科合計で100人程度の募集に対し昨年度より3人少ない66人を合格とした(表1)。推薦入試が始まって以来、合格者数は減少し続けている。余った30人ほどの合格者枠は、一般入試に繰り入れられる。

 

 

 合格者数が募集人員の目安を超えたのは法学部、教育学部、医学部医学科。特に医学部医学科の合格者数は例年2人だったが、今年は4人と初めて目安を超えた。一方合格者数が目安の半数以下になったのは経済学部、文学部、農学部、薬学部、医学部健康総合科学科。特に経済学部、薬学部では1人、医学部健康総合科学科は0人だった。昨年度合格者数が大きく減少した工学部は、今年度は6人増加して例年並みに回復した。その他の学部・学科はほぼ例年並みだった。

 

 合格者中、女性は28人で比率は昨年度比0.4ポイント増の42.4%、関東圏外出身者は37人で比率は同7.7ポイント減の56.1%。合格者のうち、既卒生は4人だった。

 

 

 同日の記者会見で武田洋幸推薦入試委員会委員長は、合格者数の減少について「気にはかけている。求める学生像の周知ができているかが課題」とし、より高校生に届くメッセージを模索する考えを示した。福田裕穂理事・副学長(入試担当)は、推薦制度の改変について「拙速な改革は学生に悪影響を及ぼす」とし「追跡調査の途中であるため、推薦入学1期生が卒業する来年に検討するべき」と述べた。

【受験生応援2019】2次試験会場の注意点 〜理系編〜

$
0
0

 東大の2次試験まであと5日。多くの受験生は追い込みを掛けていることでしょう。2次試験では、文系と理系とで会場が異なります。今回は理系の試験会場の注意点についてお伝えします。

 

※この記事は、2018年公開の東大新聞オンラインの記事に加筆修正を加えたものです。


 理系の2次試験は、赤門や安田講堂で有名な本郷キャンパスで行われます。本郷キャンパスの最寄り駅は東京メトロ丸ノ内線・都営大江戸線の本郷三丁目駅、東京メトロ南北線の東大前駅、東京メトロ千代田線の根津駅です。どの駅からもキャンパスまで10分から15分程度歩く必要があるので、必ず事前に乗る電車やキャンパスまでの道を確認しておきましょう。キャンパスには正門(最寄りは本郷三丁目駅や東大前駅)や龍岡門(本郷三丁目駅)、弥生門(根津駅)などさまざまな門があり、構内も端から端まで歩くのに10分かかるほど広いです。駅からキャンパスまでの道だけでなく、受験会場となる建物までも歩いて確認しておくと良いでしょう。

 

 受験当日は昼休みも長いので気分転換に散歩するつもりの受験生もいるかもしれませんが、あまり遠くまで歩き回らないことをお勧めします。キャンパスが広く、似たような建物が並んでいるので迷子になる可能性が高いです。外に出て気分転換する場合には分かりやすい道を選び、むやみに曲がったりせずに迷子にならないよう気をつけましょう。時間に余裕を持って会場に戻ることが大切です。

 

 構内には購買やコンビニもありますが、昼食は弁当を持参するか朝買っておくのが良いでしょう。昼休みに購入することも可能ですが、混んでいたり上記のように迷ったりすると時間的にも精神的にも余裕がなくなってしまいます。

 トイレは各建物にありますが、トイレの数や暖房の効き具合は建物によって差があります。以下、各建物の特徴を並べていきます(編集注:昨年度の情報のため今年度とは異なる可能性があります)。

 

法文系

 法文1号館、法文2号館などは正門から入ってすぐで分かりやすいかと思います。赤門を正門と勘違いしている方がたまにいらっしゃいますが、両者は別物なので注意しましょう。本郷三丁目駅から来る場合は赤門を過ぎた次の門、東大前駅から来る場合は、農正門を過ぎて道路を渡った後に見える次の大きな門です。東大前駅から歩いてすぐの農正門から入ると農学部しかないので気を付けましょう。迷い込んでしまう人はかなり多いです。

 

 法文1号館・2号館は大教室が多く、内部の廊下がくねくねと曲がっていて迷いやすいです。トイレなどに行く場合は時間に余裕を見て行きましょう。また、トイレは少ないので混雑する可能性があります。お薦め散歩コースは正門から安田講堂までのイチョウ並木です。イチョウはもう枯れていますが、迷うことがないので安心です。

 

工学部系

 工学部の建物は正門から入って左側にあります。根津駅で降りて弥生門から入ってもいいと思いますが、根津駅からの道は他の駅からの道よりも迷いやすいので必ず下見をしておきましょう。工学部1号館はかなり古い建物で、内田祥三さんによる設計である「内田ゴシック」と呼ばれる様式で建てられています。工学部2号館・3号館は比較的新しい建物で、ガラス張りの部分があります。工学部の建物は14号館まであるので入る際には何号館か確認しておきましょう。ちなみに、工学部2号館にはサブウェイ、11号館にはスターバックスコーヒーがあります。

 

理学部系

 理学部の建物は正門から入る場合は安田講堂の裏側、弥生門から入る場合は緩い坂を登ったあたりにあります。ただし、理学部2号館は赤門から入って右側にあります。他の建物からはかなり離れているので注意してください。机は広めであるため、比較的答案を書きやすいでしょう。

 

経済学部系

 経済学部の建物は赤門から入ってすぐ右にあります。本郷三丁目駅から来るのが良いと思います。昨年改修が完成した、新しい建物なのできれいで快適に過ごせるでしょう。

 

医学部系

 医学部の建物は赤門から入って右側にあります。本郷三丁目駅から来るのが良いでしょう。赤門の正面に見えるのが医学部2号館です。1号館・3号館はその正面の道を右に曲がったところにあります。

 

薬学部系

 薬学部の建物は赤門から入って右奥の方にあります。赤門の正面に見える医学部2号館の右側を通った先の右側に見えます。本郷三丁目駅から来るのが良いでしょう。

 

農学部系

 農学部の建物は本郷キャンパスの隣にある弥生キャンパスにあります。本郷キャンパスと陸橋でつながっていますが、農正門から入るのが一番分かりやすいです。そのため、東大前駅から来るのをお勧めします。農正門から入って右側が1号館、左側が2号館、正面が3号館です。1号館・2号館は蛍光灯が点滅していて薄暗い雰囲気ですが、トイレの案内が分かりやすく貼ってあるので迷うことはあまりないでしょう。ただ、トイレの個数が少ないので混むことがあるかもしれません。

 試験終了後には、受験生が駅に押し寄せるので、駅・電車内の混雑は覚悟しておきましょう。試験が終わった後に待たされるかもしれないので、1日目は2日目の試験科目の参考書を持ってきておくと待ち時間を有効に使えるでしょう。

 

 ここまでさまざまなことを書いてきましたが、実際のことは当日になってみないと分からないこともあります。ただ、事前にイメージしておくことが重要であり、想定外をできるだけ減らしておくと当日焦ることが少なくなります。下見をしておくとよいでしょう。良い気分転換にもなります。

 

 当日は想定と違ってもパニックにならないように。東大の受験生にはさまざまな人がいるので周りの人が気になって落ち着かない気分になることがあると思いますが、そういうときは一度深呼吸をして気持ちをリセットしましょう。また、真ん中の人が外に出るときは隣の人がいちいち席を立たなきゃいけないことが多いです。面倒ですが、それでいちいちストレスをためるのも良くありません。小さなことが気に掛かって集中が切れてしまうかもしれませんが、「全然集中できていない」と思えば思うほど焦ってきます。寛容な精神で試験に臨むと良いでしょう。

 

【受験生応援2019】

入試担当理事が語る、東大の求める学生とは

現役東大生が語る!センター直前攻略ポイント

東大生が語る、センター試験成功談

センター失敗談 国語と数学は侮るな! 試験後の切り替えも勝負

現役東大生が実践した! 試験直前期の体調管理法

食育専門家・浜田峰子さん 入試直前の「食事」のアドバイス

睡眠専門医・坪田聡さん 入試直前の「睡眠」のアドバイス

試験前日・当日の過ごし方、持参して便利なもの

2次試験直前! 現役東大生による勉強法アドバイス〜国語〜

2次試験直前! 現役東大生による勉強法アドバイス〜理系数学〜

2次試験直前! 現役東大生による勉強法アドバイス〜文系数学〜

2次試験直前! 現役東大生による勉強法アドバイス〜理科〜

2次試験直前! 現役東大生による勉強法アドバイス〜地歴〜

2次試験直前! 現役東大生による勉強法アドバイス〜英語〜

【受験生応援2019】2次試験会場の注意点 〜文系編〜

$
0
0

 東大の2次試験まであと5日。多くの受験生は追い込みを掛けていることでしょう。2次試験では、文系と理系で会場が異なります。今回は文系の試験会場の注意点についてお伝えします。

 

※この記事は、2018年公開の東大新聞オンラインの記事に加筆修正を加えたものです。


 文系の2次試験は駒場Ⅰキャンパスで行われます。京王井の頭線の駒場東大前駅東口(渋谷方面の改札です)を出てすぐに正門があり、入試当日の朝は正門の横に予備校関係者がずらりと並んでいます。電車は大変混み合うため、渋谷など駒場周辺に宿を取っている人はキャンパスまで歩くのも一つの手でしょう。その場合は、当日迷子にならないように一度実際に歩いてみましょう。

 

 駒場キャンパスの内部や周辺にはコンビニなどが少なく、売り切れてしまうことが予想されるため、昼食は朝のうちに買っておく方が良いと思います。

 トイレは各建物にありますが、トイレの数や暖房の効き具合は建物によって差があります。以下、各建物の特徴を並べていきます(昨年度の情報のため今年度とは異なる可能性があります)。

 

1号館

 正門から入って正面の建物です。比較的小さな教室が多いので大教室よりは落ち着く人がいるかもしれません。トイレは1階と2階に2カ所ずつあります。当日は案内があると思いますが、教室の数が多いのでよく確認しましょう。古い建物なので暖房の効きが悪い教室があります。逆に効き過ぎていて暑い場合もあるので、調節のできる服装にしておくといいでしょう。

 

5号館

 正門から入って左奥の7号館の奥にあります。少々分かりづらいところにありますが、比較的新しい建物です。トイレは各階に1カ所ずつありますが、1階のものが一番広いです。机と椅子がつながっていて少々不便で、机と机の間隔も狭くなっています。

 

7号館

 正門から入って左奥のピロティがある古い建物で、大きめの教室が多いです。トイレは各階男子トイレか女子トイレのどちらかしかないので注意しましょう。5号館と同じく机と椅子が繋がっていて、机と机の間隔が狭く、机は狭い上に傾いています。しかも椅子が硬く、背もたれが小さいので、背中が痛くなりやすいです。あまり良い環境ではないので、昼休みはストレッチをするなどして体を休ませましょう。

 

11号館

 1号館の左にある建物です。トイレは1階にしかなく、数も少ないので混雑する可能性があります。椅子が硬く冷たいです。

 

12号館

 正門前ロータリーを左の方へ行き、広場の横にあります。古くて小さい建物で、トイレは1階にしかありません。椅子が硬いです。

 

13号館

 12号館の向かい、広場の横にあります。トイレは1階と2階にあり、「これぞ大学」という感じのする大教室があります(中小教室もあります)。大教室だとリスニングが聞きづらかったり黒板の字が読みづらかったりします。音が小さい場合は遠慮なく試験官に申し出ましょう。

 

900番教室

 正門ロータリーを左に曲がって正面にある建物です。講堂なのでかなり広い教室で、トイレは1カ所しかありません。トイレが混んで大変なので、トイレにはタイミングを見計らっていきましょう。後ろの方の席だと音が反響してリスニングの音声が聞き取りづらい場合があります。

 試験終了後には、受験生が駅に押し寄せるので、駅・電車内の混雑は覚悟しておきましょう。混雑防止として受験する建物ごとに解散時間が異なり、長時間待たされる建物もあるので、1日目は2日目の試験科目の参考書を持ってきておくと待ち時間を有効に使えるでしょう。

 

 ここまでさまざまなことを書いてきましたが、実際のことは当日になってみないと分からないこともあります。ただ、事前にイメージしておくことが重要であり、想定外をできるだけ減らしておくと当日焦ることが少なくなります。下見をしておくとよいでしょう。良い気分転換にもなります。

 

 当日は想定と違ってもパニックにならないように。上に書いたように、机が狭かったり椅子が硬かったりして落ち着かない気分になることがあると思いますが、そういうときは一度深呼吸をして気持ちをリセットしましょう。また、真ん中の人が外に出るときは隣の人がいちいち席を立たなきゃいけないことが多いです。面倒ですが、それでいちいちストレスをためるのも良くありません。小さなことが気に掛かって集中が切れてしまうかもしれませんが、「全然集中できていない」と思えば思うほど焦ってきます。寛容な精神で試験に臨むと良いでしょう。

 

【受験生応援2019】

入試担当理事が語る、東大の求める学生とは

現役東大生が語る!センター直前攻略ポイント

東大生が語る、センター試験成功談

センター失敗談 国語と数学は侮るな! 試験後の切り替えも勝負

現役東大生が実践した! 試験直前期の体調管理法

食育専門家・浜田峰子さん 入試直前の「食事」のアドバイス

睡眠専門医・坪田聡さん 入試直前の「睡眠」のアドバイス

試験前日・当日の過ごし方、持参して便利なもの

2次試験直前! 現役東大生による勉強法アドバイス〜国語〜

2次試験直前! 現役東大生による勉強法アドバイス〜理系数学〜

2次試験直前! 現役東大生による勉強法アドバイス〜文系数学〜

2次試験直前! 現役東大生による勉強法アドバイス〜理科〜

2次試験直前! 現役東大生による勉強法アドバイス〜地歴〜

2次試験直前! 現役東大生による勉強法アドバイス〜英語〜

身近な言葉の歴史を考える 「迷惑」と「文化」に潜む政治性

$
0
0

 「人に迷惑をかけてはいけません」。「茶道は日本の文化です」。我々は日常生活の中で何気なくこのようなフレーズを口にする。だが、現代人になじみ深い言葉の用法は、明治以降政治的な意図によって形作られたものも多い。「迷惑」と「文化」という二つの言葉が持つ意味の変化と関連するさまざまな政治的要因について、近代日本を研究対象とする民俗学者の岩本通弥教授(総合文化研究科)に話を聞いた。

(取材・円光門)

 

私的な迷惑から公的な迷惑へ

 「迷惑」の由来は「道理に迷うこと」という仏典や外典(儒教・道教以外の教えを説く書物)の用語で万葉集や平家物語でも「戸惑う」「どうしてよいか分からない」という意味で使われていた。加えて室町時代には「苦悩する」「被害を受ける」など多くの意味を背負うようになる。現在でも多少意味の振れ幅はあるが、「迷惑」が主に公衆マナーを示す際に使われるようになったのは、いつからなのか。岩本教授いわく、決定的なのは日本が近代化を迎えた明治末年以降だ。

 

 戦前の道徳教育の科目である修身の教科書を見ていこう。1892年には「黒犬の迷わく」という小説が登場するが(図1)、悪友の行動が原因で黒という犬が殺されたという内容から分かる通り、ここで「迷惑」は単に「被害を受けること」という意味で使われている。1904年になると、道路で遊んだり塀や垣にいたずらをすることは「世間の人の迷惑となる」と記述されており(図2)、かなり現代的な用法に近づく。しかしここでいう「世間」とは、近所の顔見知りなどといった「社会」より狭い集団を指すので、公共空間での振る舞いとして「迷惑」は使われているわけではない。

 

図1:『修身稚話:知育徳育. 後編』(1892)より抜粋 画像は著作権の関係で掲載不可
図2:『尋常小学校修身書. 第2学年用』(1904)より

 

 それに対して11年に文部省(当時)が制定した「作法教授要項」には「街路の人に危険及迷惑を及さざるやうに十分注意を拂ふべし」といった「公共空間」への言及(図3)、13年には「訪問ハ急用ノ外成ルヘク早朝・夜分・食事ノ時其ノ他先方ノ迷惑トナルヘキ時ヲ避クヘシ」といった「公共時間」への言及(図4)が出現し、「迷惑」は公共の時空間における振る舞いのキーワードに。20年に文部省内で生活改善同盟会が設立されたことを機に、「迷惑」は公衆マナーを示す文言に頻出するようになる。

図3:『師範学校中学校小学校作法教授要項:文部省御調査』(1911)より
図4:『小学校作法教授要項』(1913)より
図2〜4の出典は国会図書館デジタルコレクション

 

 背景には、日本の産業構造の大きな変革とそれに伴う政治的な動きが見られると岩本教授は言う。第1次世界大戦後、大都市には従来の雇用形態とは質の異なる月給取りが大勢集まるようになった。その結果東京におけるサラリーマンの割合は、08年には5.6%だったのに対し、20年には21.4%に増加。それまで各村落の「風俗」を把握することで民衆を統治していた政府にも、新たな方法が求められるようになる。その結果生まれたのがlifeを邦訳した「生活」という新たな概念で、政府はサラリーマン家庭の家計などを計量的に調査することで「生活」の質を把握し、統制しようとしたのだ。統計調査に基づいた研究をもっぱら行う東京帝国大学経済学部(1919)の誕生などもその表れであるが、「生活改善運動」も同様の文脈から生まれる。こうして、通勤電車などで騒がないことや時間を厳守することなど、「公共空間」において他人に「迷惑」を掛けてはならないことが強調されるようになった。

 

 このように、元来多義的であった「迷惑」が現在使われているような意味に絞られていったことには、戦間期という激動の時代に社会を対応させんとする政治的意図が多分に含まれていた。似たような語義の変化は「文化」にも見られる。

 

発展の文化から固有の文化へ

 中国渡来の「文化」という語は元々「文によって化する」という武力によらない教化を意味し「文明開化」とほぼ同義だった。大正期になるとドイツから現在の人文科学に当たる「文化科学」という概念が日本に紹介され、芸術など人間の高度な精神的産物を指すKulturが「文化」と訳されるようになる。

 

 そこから派生して、「文化住宅」「文化鍋」といった接頭語としての「文化」が「ハイカラな」「西洋風の」という意味を持った。加えて歴史学などの学問分野では「人間の精神的産物」という定義が拡大され、やがて「文化」は「弥生文化」「東北文化」というように、ある時代や地方という境界線の中で人間が生み出した共通項を表す概念として接尾語的に使われるように。こうして「文化」は多義的な言葉となっていく。

 

 現代では「日本文化」のように接尾語的な用法が主だが、これはいつごろから定着したものなのか。国会図書館デジタルコレクションで「日本文化」と検索すると、書物のタイトルとして登場するのは20年代が初めてで、30年代には数が倍増している。また書物の中のキーワードとして登場することも10年代まではまれだったが、30年代から爆発的に増えている。一体、30年代に何があったのか。

 

 岩本教授によると「文化」の接尾語的用法を決定づけたもののうち一つが、37年に文部省が編さんした『国体の本義』だ。本書では、日本文化は古来より中国文化やインド文化などの外来文化を吸収し混交、止揚(異なるもの同士の衝突や矛盾を通じてそれらを高めること)していく文化であり、日本は他の文化を統合、指導する立場にあるのだと唱えられる。この文化論の背景には、京都学派の哲学者三木清が日中戦争を契機にして掲げた「東亜協同体論」が見られる。

 

 日本はそれまで琉球やアイヌ、台湾、朝鮮を、古い意味での「文化」、すなわち文明開化させる対象として同化させ、植民地化していったが、その時相対していた中国は強大で高度な文明を有するため、従来の手段では通用しないと三木は考えた。そこで三木は「文化」を各地域に固有の、ある種の本質を表す言葉として使い、日本と中国という互いの民族文化の違いを認めながら、それをさらに融合、指導できるとする新たな日本文化の建設をうたう議論に共振していった。

 

 さらに41年になると、この考えにのっとる形で大政翼賛会が「地方文化運動」を始め、日本には東北文化や九州文化といった地方文化がまず存在し、それらを統合する形で日本文化があるのだとした。このようにして「文化」という言葉の多義性も「迷惑」と同様、政治的な意図により狭められていき、現在の用法へと至ったのだ。

 日常的に使われる言葉の歴史性に目を向けることには、どのような意義があるのか。「歴史を『国や政府の歴史』として他人事と捉えるのではなく、今ここにいる自分たちに引き付けて考えることが民俗学の基本です」と岩本教授は語る。我々が何気なく使っている言葉の多くにも、歴史的、政治的な意味の重層性がある。あなたも「迷惑」や「文化」といった言葉を今後口にする時、いったん立ち止まり、それについて考えを巡らせてみてはどうか。

図5:『野田修身書教授参考. 巻5 』(1936)より抜粋
図6:『師範修身書. 巻4』(1941)より抜粋

 「文化」の用法の変化は修身書にも反映されている。図5では「文化」が中国的な「文明開化」とドイツ的な「高度な人間精神(ここでは理性)の産物」という意味で使われているのに対し、図6では「文化」は接尾語的に用いられ、三木ら京都学派の文化論の影響が色濃く見られる。(図5、6の出典は国会図書館デジタルコレクション)

 

岩本通弥(いわもと・みちや)教授(総合文化研究科)
 85年筑波大学大学院博士課程単位取得退学。06年より現職。編著に『世界遺産時代の民俗学―グローバル・スタンダードの受容をめぐる日韓比較』など。

この記事は、2019年2月12日に掲載した記事を加筆修正したものです。本紙では、他にもオリジナルの記事を掲載しています。

ニュース:学生生活実態調査 院生の約25%「生活厳しい」
ニュース:国大協 入試解答原則 公開の方針発表
ニュース:情報セキュリティ教育研究センターを新設
ニュース:工学系研究科 痛みなく早期発見 インフル新検出法開発
ニュース:位置情報ゲーム 中高年の歩行促進
ニュース:情報セキュリティ教育不合格者 WiFi利用停止に
企画:身近な言葉の歴史を探る 日常に潜む政治性
企画:地に足着いた充実 地方圏活性化を目指して
企画:「やりがい搾取」は本当か 五輪ボランティアを考える
ミネルヴァの梟ー平成と私ー:⑨東日本大震災❷
東大新聞オンラインPICK UP:恋愛編
教員の振り返る東大生活:池尻良平特任講師(情報学環)
火ようミュージアム:新・北斎展 HOKUSAI UPDATED
キャンパスガイ:黒松育也さん(文Ⅰ・1年)

※新聞の購読については、こちらのページへどうぞ。

【受験生応援2019】合格祈願の絵馬奉納&編集部員から応援メッセージ

$
0
0

 受験生の皆さん、勉強お疲れさまです。2次試験本番まで残すところ数日となりましたね。東大新聞編集部は、受験生の皆さんの合格を祈念し、湯島天満宮・亀戸天神社・谷保天満宮から成る関東三大天神に絵馬を奉納しました。今回は、絵馬奉納の様子と、編集部員から寄せられた応援メッセージをご紹介します!

 

合格祈願! 絵馬奉納

 

 東京大学新聞社は、今年も受験生の皆さんの活躍を願い、受験にご利益があるとされる都内の神社に絵馬を奉納しました! この絵馬が少しでも皆さんの力となれば幸いです。

 

 

編集部員から最後のアドバイスと応援メッセージ

 

「以前に解いて間違えたものなど、同じ問題を何度も解くと良いと思います。夜更かしは心身が不安定になるのでやめましょう。他の受験生に比べ努力が足りないと思う人がいるかもしれませんが、受かるときは受かるのでナンセンスです」

 

「自分の力を信じて、悔いのないよう頑張りましょう」

 

「大きく深呼吸しましょう。落ち着いて取り組めば最大限の力が出せるはずです」

 

「ここまで来たらもう腹をくくって全力で挑みましょう。弱気になって自滅するのが一番もったいないです」

 

「リラックスしましょう。笑いましょう。『できないかも』と思うより、『会場に着きさえすれば絶対に受かる』と思う方が合格の可能性は上がります」

 

「試験中に緊張しない人はいないです。自分だけが焦っているわけではないので、『少しでもリラックスできたら良い』と気負い過ぎないことが大切です。今まで努力してきた自分を信じて、悔いのない2日間にしてください」

 

「試験のとき、隣に座っている頭の良さそうな人も意外に落ちています。最後は自分の力を信じるだけです」

 

「死ぬ気で頑張ってください。大丈夫です。本当に死ぬわけではありませんよ」

 

 編集部一同、受験生の皆さんが晴れて入試を突破されることを祈願しています。最後の最後まで応援しています!!

Viewing all 3375 articles
Browse latest View live